おはようございます。
今日はなにをしないといけないかをキチント確認し、 順序良く一つずつ。
天一国2年天歴2月8日
今日のみ言
マタイ福音書6:21
『あなたの宝のある所には、心もあるからである』
一番投入して犠牲になる者が中心者になる
個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、 七人のために犠牲になって、 それが間違っていたとすれば大変なことです。
七人共々に、 みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。 七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。 それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、 七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、 その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。 垂直に飛び上がるのです。
こういう原則から見た場合に、当然、 個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、 それは道徳社会の公的な道として、 誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、 為に生きた場合には、神様の再創造の道、 神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、 神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。 分かりましたか? だから滅びることはないのです。
投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、 その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、 一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。 国の大統領、国の総理という者は、 その国のために自分のすべてを投入して、投入して、 誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。 分かりましたか?
それが、今まで若い者には分からなかったのです。 投入して投入して忘れていくことによって、 中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、 みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。
だから中心者は責任を持たなければなりません。 統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、 先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。
投稿日:1970年1月1日