おはようございます。
今日も一期一会の心で過ごしましょう。
天一国2年天歴2月10日
今日のみ言
真なる愛だけが体と心を一つにする。
今、世の中では、「この世界は一つの世界になるべきだ。 統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ。」 こんな言葉をたくさん言います。
では、一つになるには、力を与えながら「やあ」と言うと「やあ」 こうなって、力で一つにするのか? でなければ、何かの組織力を持って、 この頃は何かの組織社会だから、強力な組織力で一つにするのか? その次には、ある思想を中心として一つにするのか? そうできる一面はあるかもしれませんが、 それは我々の本性として「体と心が全部歓迎をして、 これでなければだめだというそのようなものには絶対なれない。」 というのです。体と心が「これはいい。 このようなものは私が願うものだ。 これは永遠な理想の基準で私が侍って暮らすことができる。」 と言えるようになっていないのです。それはお金でもだめだし、 知識でもだめで、何でもだめなのです。
では、一つになりうる根本が何か? 高い人や低い人や、東西洋はもちろんであり、 黄色人や白人や黒人や、どの国でもみな好みうるものが何か? それは愛です。 真なる愛で一つになること以外にはないということが、 最後の結論であることを、皆さんは知るべきです。 そのようですか?(はい)。自分の体と心が親しくなって、 一つになって、喜びうることは・・・。 お金を見て体と心が喜びますか? それは永遠に喜べないのです。
我々の五官が全部集中して、一つにさっと固まって、 笑って踊りを踊りうることは真なる愛の理想以外にはないという結 論です。それをだれが否定しますか? 否定すれば、それは愛ではありません。それゆえ、 霊と肉が我々の心と体がすべて一つになりえ、 ともに共栄しうることは、 真なる愛の境地以外にはないという結論を下すことができるのです 。(91―141)
霊と肉は、 本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、 偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。 それゆえ、 真の愛の起源を見出さずしてはこれが一つにならないのです。 それが最も理論的だということです。 その場を皆さんが越えていって、天が祝福してくれる、 その祝福を願って行かなければならないのです。(91―184)
皆さんの体と心が、 神様の愛を中心として生きていかなければなりません。 ご飯を食べるときも、神様の愛を中心として食べ、 考えと行動をするときも、神様の愛を中心としてすべきです。 体と心が神様の愛を中心として生きる人にならなければなりません 。しかし、皆さんの体と心が怨讐になっています。 神様の愛を中心として根を下ろさなければならないのに、 サタンの愛で先に根を下ろしたためです。 そこから体と心が分かれて戦っています。(1986・2・1)
本来は、人間の心と体に神様の愛が入って、 内外に矛盾や相入れないこと、 または闘争がない結果をもたらさなければなりませんでした。 しかし、人間が神様から離れていって、 サタンを中心として外的に愛したのが動機になって、 体と心が相入れない立場で闘争する結果がもたらされたのです。 そうして、外的な体を中心とした愛が、内的な心を中心として、 理想的な永遠な生命の起源になる、 神様の愛に背いて出てくる歴史の結果がもたらされたのです。 ですから、外的な愛、すなわち、サタンの愛を除去して、 そこに本然の内的な愛である神様の愛を相続して、 体と心を糾合させなければなりません。そうしてこそ、 ここから統一が起こるのです。(37―179)
投稿日:1970年1月1日