おはようございます。「神の悲しい心情、親としての苦しみを味わい知らされた時には、 木を抱き締めていつまでもいつまでも泣き続けた。」
天一国2年天歴4月27日
今日のみ言葉
祈祷の意義と必要性
◇祈祷というものは、心と体を神様の前に捧げることです。 物を神様の前に捧げるのではなく、 自分の心と体を完全に神様の前に捧げるための精誠の時間が、 祈祷の時間なのです。(1970・1・1)
一人で静かな所に行って、月を見つめながら感謝し、 すべての自然と呼吸できる心霊的生活、 すなわち祈祷生活が必要です。今、先生もそうです。 私が海に出ていくのも、その心情を体恤するためです。 それが御飯を食べることより、もっと貴いというのです。( 1977・9・1)
祈祷というのは何かというと、浄化です。 自分の精神を浄化させるために必要なものです。 精神を浄化させるために鍛錬する方法として必要なものであり、 精神統一するために、それが必要なのです。(1988・10・ 3)
祈祷するのは、本来の良心基準を取り戻すためです。 本来の良心基準さえ取り戻せば、 神様に尋ねてみることもありません。すべて通じるというのです。 自分が行く道は、はっきりと分かるようになっています。それが、 真の愛を中心として一体となった心と体の共鳴体です。( 1994・1・30)
今から皆さんは、祈祷を生活化するのです。 生活的に祈祷しようというのです。24時間なら24時間、 すべて祈祷です。御飯を食べながらも祈祷であり、
どこかを歩いていきながらも祈祷であり、 寝ても覚めても祈祷であり、すべてが祈祷です。(1987・1・ 18)
常に祈祷し、反省し、 決心する生活を繰り返さなければなりません。 先生に叱責されても祈祷しなければならず、 たとえ夫にたたかれたとしても感謝の祈祷をしなければなりません 。常に祈祷する生活をしなければ、 み旨の道を行くことはできません。皆さんは、生活するにおいて、 お金のことを考えずに、 先にみ旨のことを考えなければならないのです。ですから、 祈祷するのです。祈祷は、心情の補給倉庫です。時間がなければ、 仕事をしながらでも祈祷はできるのです。(1969・11・ 26))
天一国2年天歴4月27日
今日のみ言葉
祈祷の意義と必要性
◇祈祷というものは、心と体を神様の前に捧げることです。
一人で静かな所に行って、月を見つめながら感謝し、
祈祷というのは何かというと、浄化です。
祈祷するのは、本来の良心基準を取り戻すためです。
今から皆さんは、祈祷を生活化するのです。
どこかを歩いていきながらも祈祷であり、
常に祈祷し、反省し、
投稿日:1970年1月1日