教会NEWS

おはようございます。
宗教の目的は真理を明らかにし、

人がその真理に従って生きることによって、より幸福な人生、さらには死後においても幸福な生活を送れるようにすることです。
天一国2年天歴7月22日
今日の訓読み言葉
     神に一致することができる、神のみ旨に一致することができる、
神のみ旨を 中心としては過程的み旨ではなく、完成的み旨の中心の核と一致することがで きるそれとは何でしょうか。それが神様の全知全能なのでしょうか。全能性を もってしても駄目なのです。全権でしょうか。違うというのです。それでは遍 在する素性でしょうか。それも違います。それは何でなければならないのでし ょうか。神様自身も生きて生活するのは、もちろん霊界があって時空の関係を 超越したところで生きていくのです。生きていくには何を中心として生きてい くのでしょうか。無限な力がある、遍在する、全権的権限がある、それではあ りません。神様も愛を中心として生きていく、このように見るのです。生きて いくには始まりもそうで、過程もそうで、永遠にそうなのです。神様も真なる 愛の対象をもつようになれば喜ぶからです。

神様は絶対的であり、全知全能なので、愛をひたすら与え与えて、
また分け 与えても限りなく補充することができる愛の倉庫をもっています。それでは、 神様の倉庫から愛を多く盗んで、夜も昼も限りなく愛を取って分け与え分け与 えるとき、神様が「やあ、こいつ! 盗人、愛どろぼう!」と言って処罰する でしょうか。全知全能な神様なので、「そのようにしろ、してもいい。いくらで もやってみろ。お前が永遠にやってみろ。お前が入ってきても余る。それで私 が神様だ。だから私が主体だ!」と、神様がそのように言われるのです。「私が 主体なので、客体に与えても残ってこそ主体だ。お前たち客体である人間に与 えても余ってこそ主体としての神様であって、そうでなければ神様になれない。 私がそうなのだ!」と言われるのです。「私から愛を盗んで神様の愛の発電所の
ように限りなく与えたいならば、いくらでも補給してあげよう」。
それで「これ が全部なくなれば私はまたもっていきたいのですが、神様の愛のパイプに私を 連結したらどうでしょうか」と言う時、「そうしたければしなさい」と言うので す。

投稿日:1970年1月1日

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