おはようございます。 今日も元気て有りますように。
「天一国はどういう国か」
天一国経典『天聖経』 の中から真のお父様のみ言を探してみました。
「神様の国は、永遠に幸福な所」
天一国2年天歴611日
今日の訓読のみ言
淋しい時期が来たとしても
「刺激について」
701126水沢里にて@
◇淋しい時期が来たとしても、 力が出ないような基準があるとしても、 そこで落胆したりしてはいけない。そういう期間があるからこそ、 谷を越えることができるんだね。谷の境界線というものは、 線自体は中間圏だよ。それが大きい谷だったら、 谷の広さも広くなるんだよ。その谷の底を通り抜けるような、 そういう期間があるんだよ。そこには神も干渉できない、 サタンも干渉できない、 自分一人ながらやっていかなければならない、 そういう期間があるんだよ。暗礁地帯みたいな、そういう期間が。
腹いっぱい力を出そうとしても出すことができない、 神に自分は捨てられてしまったような思いがする。 神がいるかいないか思いもつかないような時があるんだよ。
そういう時をいかにして乗り越えるか。過去、 神によって祝福された恵みに対して、蜜に酔った時のような、 その喜ばしい心持ち、それが必要だよ。
過去の自分をこういうように守って下さった神は、 愛する自分の親である。 わしは間違いなく神の子供である。いかなる曲線をたどっても、 結局は愛の 目的の立場に神は我を立たせる。その問題は間違いない。 こういうような過程を通過させるのも、 我にもっと大きい何かを悟らせる、あるものがあるから、 こういう期間を自分に下さるのであって、 自分の行くべき道をふさぐために、 神はこういう淋しい立場に立たしておくんじゃない。 そういう立場に立てば 立つ程、今まで神共に我を守り、励ましてくれた、 そういう基準を中心として、 間違いなく神は自分を愛しておるという、 信仰でもって乗り越えなければならない。誰が何と言おうと、 この期間は克服するんだね。誰も頼りにできない。 自分ながらの存在を認められないような立場に落ち込んだとしても 、絶対に 落胆してはいけない。
投稿日:1970年1月1日