教会NEWS

1970年1月1日
おはようございます。
新しい月を迎えました。みんな頑張りましょう。

天一国2年天暦閏9月9日
今日の訓読み言葉

御旨と世界 P.612
 先生が生来の実力を伸ばして世俗的な分野に応用していったなら、偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、様々な分野で大いなる名声と尊敬を勝ち得る人物になれるでしょう。しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、そういう方向には行かなかった先生です。そして、生涯において、先生より多く涙を流した者がいるでしょうか。苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです

 では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。あなた方もまた、ある意味では同様に苦難を負って歩んでいるわけですが、それは過去において先生が既に通過してきた道を引き継いでいるだけです。そして私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。
1970年1月1日
おはようございます。
祈祷は天に対する誓約であり、宣誓であり、そして宣言です。

天一国2年天暦閏9月8日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
おはようございます。
6500双祝福おめでとうございます。
霊界にいる数多くの善なる霊人たちが地上に再臨して、この後孫たちを収拾して、新しい天国を進展させることができる道を平らにしてください。

天一国2年天暦閏9月7日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
おはようございます。
氏族メシアの道は天命であると新たなみ言葉をくださいました。祈祷というものは、自らの意識を忘れてしまうのです。そのようになると、縦的な世界の波長が影響を及ぼすのです。


天一国2年天暦閏9月6日
今日の訓読み言葉

アベルを祭物として、カインを救う摂理ですから、尊いものをカインに向けるのであって、アベルに向ける原則ではありません
日本の責任者たちは、「教会長だからアベルであり、君たちはカインだから、カインはアベルに屈服するのが原理だから従え」と先生が教えない原理の教えをしているのではありませんか?そういう原理はありません。愛の力でもって、自動的に自然に頭を下げるような、そういう使命を果たさない者はアベルではありません。アベルの立つ基盤がありません。勝利し得なかったのですから、神は認めません。それは個人的、家庭的、氏族的、民族的においても同じことです。
ですから統一教会が世界的なアベルの教会であるとするならば、世界的に血を流して蕩減条件を勝利して、勝利の領収書にサインをサタンにしてもらって、そこで初めて世界的なアベルになれるのです。そのようになっています。
1970年1月1日
おはようございます。
これまで皆さんは収穫するためにたくさん努力し、皆さんはみ旨の道について来たと言いますが、未来を準備することにおいて少し弱かったのです。

天一国2年天暦閏9月5日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
祈祷をすれば、自分の意識を失うほどの境地に入っていくことができなければなりません。心情世界に接するときは、涙がなくてはならないのです。

天一国2年天暦閏9月4日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
おはようございます。
祈祷とは縦的な絆を結ぶためのものであり、精誠は横的な絆を拡大するためのものです。

天一国2年天暦潤9月3日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
 良い朝を迎えました。
祈祷には要求の祈祷があり、報告の祈祷があります。その中で、要求の祈祷は決意の祈祷にならなければならず、報告の祈祷は感謝の祈祷にならなければなりません。

天一国2年天暦潤9月2日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
__1024__(天暦潤9月1日)

おはようございます。
昨日は地区長をお迎えして集会を持ちました。今の摂理を進める事に於いて私たちの姿勢、心情など神様と真のご父母様との関係に対して話してくださいました。

天一国2年天暦潤9月1日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
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1023__おはようございます。一日において最も重要な時間がいつかというと、早朝です。その早朝が一日の勝敗を左右する重要な時間です天一国2年天暦9月30日今日の訓読み言葉

​神
の目的は、ある特定の個人、あるいは教会、あるいは国家の救いではありません。神の目的は、全世界を救うことなのです。ですから真の教会は、世界の幸福のために、自身を犠牲として与えるものであります。そうです。真のクリスチャンは、自分の命を、世界と全人類の救いのために捧げたいという願いをもっているはずであります。しかしながら、今日のクリスチャンの教えは、自己中心的になってきています。クリスチャンは、自分自身の個人的な救いを追い求めているのです。彼らは「私の救い」と「私の天国」を叫んでいるのです。これは、神の真理に反し、神の理想に反するものであります。
我々は、断固として与え、愛し、犠牲になり、他のために生きていかなければなりません。
 我々はすべて理想的な生き方を求めて働かなければなりません。私は、私の家庭のために存在し、私の家庭は、社会のために存在し、社会は国家のために、国家は世界のために、そして世界は神のために、神は、あなたと私のため、全人類のために存在されるのであります。この偉大なる授受のサークルの中に調和があり、統一があり、永遠に増し加わる繁栄のプロセスがあるのです。さらに言うならば、この回路の中で、すべての存在がこの創造の目的を成就するようになるので、そこにはあふれんばかりの深い喜びが存在するのです。これが幸福感の充満する天国なのであります。

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