教会NEWS

1970年1月1日


おはようございます。今日から2日間吉教授をお迎えしてコーチング研修があります。

私たちがホームチャーチを進めていくためにコーチング、浄化精誠は欠かせないものです。

天一国元年天歴12月16日

今日のみ言

「神の事情と心情を自分自身において体験し得る人、これが六千年長い歴史を通して、神が今まで求めてきた本当の子女なのである。」

「太陽の賛歌」という有名な賛美歌があります。

神よ、造られたすべてのものによって、私はあなたを賛美します。

私たちの兄弟、太陽によって、あなたを賛美します。太陽は光をもって私たちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

私たちの姉妹、月と星によって、あなたを賛美します。月と星はあなたのけだかさを受けています。

私たちの兄弟、風によって、あなたを賛美します。風はいのちのあるものを支えます。

私たちの姉妹、水によって、あなたを賛美します。水は私たちを清め、力づけます。

私たちの兄弟、火によって、あなたを賛美します。火は私たちを暖め、よろこばせます。

私たちの姉妹、母なる大地によって、あなたを賛美します。大地は草や木を育て、実らせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるしあい、病と苦しみを耐え忍ぶものによって、私はあなたを賛美します。終わりまで安らかに耐え抜くものは、あなたから永遠の冠を受けます。


私たちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。大罪のうちに死ぬ人は不幸なものです。

神よ、あなたの貴いみ旨を果たして死ぬ人は幸いなものです。第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、私は深くへりくだってあなたを賛美し、感謝します。

 彼は苦難の十字架を受けながらも、神様の愛、霊的な喜びを味わった方です。貧しい人、病人たちと一緒に住みながら、神様から来る愛を感じ、神様の声を聞き、神様と共に生きました。神様の愛は、時々、万物を通して現れます。

 神様は万物の根本、父の立場であり、万物は神様の作品であり、子女の立場です。「太陽の賛歌」は聖フランチェスコが、死ぬ前に、神様の愛に対する感謝と、喜びを抑え切れない心情を表した歌です。彼は一杯の牛乳を飲む時も、また、美しく輝く夜明けの中で、森の中のきれいな空気と清い水に神様の愛を感じ、神様を賛美しました。

 我々が神様の愛を感じ、祝福を受けながら生きるには、不変なる一片丹心の信仰が必要です。そして物質的で手段的生活への執着から脱け出す時、神様の愛と祝福を受けられる信仰者になります。詩篇の言葉のように、実を結び葉もしぼまないためには、根っこが深く入らないといけません。単に、福を受けて天国へ行くために信仰するのではなく、物質、権力、名誉の欲を捨て、神様のみ言と法度を喜ぶ人は、その心の中に喜びと生命が宿ります。

   厳しくなっても、決して絶望しないで希望を持ち続け、努力します。ですから自然に万事亨通になります。
よろしく頼む。
1970年1月1日
おはようございます。
良い朝ですよ

面白く楽しく分かち会える教会創り。

天一国元年天歴12月15日

今日のみ言

「先生がこの道を出発する時のその第一の目標は、『天宙主管を願う前に自己主管を完成する』ということであった。それには第一に肉心を如何に主管するか。」

    強く雄々しくあれ

ヨハネの黙示録第11章では、2本のオリーブの木に対する預言をしています。これは何を意味しているのでしょうか。世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現れることを予告しているのです

モーセの代わりに現れたヨシュアとカレブがユダヤ民族を導いてカナンの地に入っていったのと同じように、ヨシュアとカレブのような人たちが現れて、神様の民を率いて世界的なカナン福地、新しい希望のカナン福地に向かうようになるでしょう。

 またヨシュアとカレブに従ってカナンに入っていった群れが、カナン7族を滅ぼしたように、皆さんにはサタンを滅ぼさなければならない責任があるのです。そういう天の勇士になり、そのような路程を歩むべき責任が、皆さんにあることを肝に銘じなければなりません。

 そして、新しいみ言を主張するヨシュアとカレブがこの地のどこに現れようとも、人々の心の扉を開いて、み言を聞かせ、天のために生きられるようにする私たちにならなければなりません


 ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。彼らが歩いた道は、難しい開拓の道であり、闘いの道でした。行く先々で開拓者の使命を果たさなければならない、厳しい道でした。時には個人的に、あるいは環境的にぶつかってくる試練と闘わなければならない路程が、彼らにはあったのです。

今日もよろしく。
1970年1月1日
おはようございます。
良い朝ですよ

面白く楽しく分かち会える教会創り。

天一国元年天歴12月15日

今日のみ言

「先生がこの道を出発する時のその第一の目標は、『天宙主管を願う前に自己主管を完成する』ということであった。それには第一に肉心を如何に主管するか。」

    強く雄々しくあれ

ヨハネの黙示録第11章では、2本のオリーブの木に対する預言をしています。これは何を意味しているのでしょうか。世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現れることを予告しているのです

モーセの代わりに現れたヨシュアとカレブがユダヤ民族を導いてカナンの地に入っていったのと同じように、ヨシュアとカレブのような人たちが現れて、神様の民を率いて世界的なカナン福地、新しい希望のカナン福地に向かうようになるでしょう。

 またヨシュアとカレブに従ってカナンに入っていった群れが、カナン7族を滅ぼしたように、皆さんにはサタンを滅ぼさなければならない責任があるのです。そういう天の勇士になり、そのような路程を歩むべき責任が、皆さんにあることを肝に銘じなければなりません。

 そして、新しいみ言を主張するヨシュアとカレブがこの地のどこに現れようとも、人々の心の扉を開いて、み言を聞かせ、天のために生きられるようにする私たちにならなければなりません


 ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。彼らが歩いた道は、難しい開拓の道であり、闘いの道でした。行く先々で開拓者の使命を果たさなければならない、厳しい道でした。時には個人的に、あるいは環境的にぶつかってくる試練と闘わなければならない路程が、彼らにはあったのです。

今日もよろしく。
1970年1月1日


真のお母様は、今年の初め、総会長に電話をされ、

「この標語は全食口が掲げるように、それで毎日読んで実践して、天一国主人になれるようにするんですよ」そのように語られたそうです。

天一国元年天歴12月14日

今日のみ言

(み旨の道)
神の前では冒険と忠誠と従順の三つの種類の人がいなければならない。
 この三つの中のうちの一種類にも属さずしては天国に入れない。



神様に従っていく皆さんは先生がなさることに対して平面的な意見のみで騒いではならない。



(訓教経)
真なる生涯をいかに残すか」(P786
「死の交差点を前にして、そのようなすべての問題を解決しなければならないその瞬間は、真に厳粛な瞬間なのです。

千年史の恨みと歴史的悲運が全て解決され、歴史路程に勝利の旗が立てられて、光明な新しい朝が明けるということを思えば、どんなに生命が左右される厳粛で深刻な瞬間が迫っても、それをあすの希望と人類の真の生涯に代わる蕩減条件として受け入れることができるのです。



 そのためには、どんな困難も喜びとして吸収し、消化しなければならないのです。悲しみで消化するのではなく、喜びの因縁によって残し得る戦いを続けなければならないことを皆さんは知らなければなりません。

そういう一時のために生きていく人の生涯には、無限な価値があるのです。私たちは、そういう生涯を残していかなければなりません。行く途中で振り返る時、埋めてしまわなければならない過去なのに、未練をもって過去に生きた地を慕うようになれば、その生涯は悲惨になるのです。



 それでは、この地に対して未練を残さない真の基準を、どのようにして立て得るのでしょうか。ありったけの精誠を尽くしなさいというのです。

精誠の谷間があるならば、最高に深い谷間に入っていき、精誠の頂上があるならば最高峰に上がりなさい。そのためには、寝ても覚めても悔い改め、御飯を食べても悔い改めることができる心をもたなければなりません」




みなさん元気ですか?
1970年1月1日


真のお母様は、今年の初め、総会長に電話をされ、

「この標語は全食口が掲げるように、それで毎日読んで実践して、天一国主人になれるようにするんですよ」そのように語られたそうです。

天一国元年天歴12月14日

今日のみ言

(み旨の道)
神の前では冒険と忠誠と従順の三つの種類の人がいなければならない。
 この三つの中のうちの一種類にも属さずしては天国に入れない。



神様に従っていく皆さんは先生がなさることに対して平面的な意見のみで騒いではならない。



(訓教経)
真なる生涯をいかに残すか」(P786
「死の交差点を前にして、そのようなすべての問題を解決しなければならないその瞬間は、真に厳粛な瞬間なのです。

千年史の恨みと歴史的悲運が全て解決され、歴史路程に勝利の旗が立てられて、光明な新しい朝が明けるということを思えば、どんなに生命が左右される厳粛で深刻な瞬間が迫っても、それをあすの希望と人類の真の生涯に代わる蕩減条件として受け入れることができるのです。



 そのためには、どんな困難も喜びとして吸収し、消化しなければならないのです。悲しみで消化するのではなく、喜びの因縁によって残し得る戦いを続けなければならないことを皆さんは知らなければなりません。

そういう一時のために生きていく人の生涯には、無限な価値があるのです。私たちは、そういう生涯を残していかなければなりません。行く途中で振り返る時、埋めてしまわなければならない過去なのに、未練をもって過去に生きた地を慕うようになれば、その生涯は悲惨になるのです。



 それでは、この地に対して未練を残さない真の基準を、どのようにして立て得るのでしょうか。ありったけの精誠を尽くしなさいというのです。

精誠の谷間があるならば、最高に深い谷間に入っていき、精誠の頂上があるならば最高峰に上がりなさい。そのためには、寝ても覚めても悔い改め、御飯を食べても悔い改めることができる心をもたなければなりません」




みなさん元気ですか?
1970年1月1日
おはようございます。
いい朝ですね。気温は少し冷たいですが心は暖かい一日に慣れますよう。

いよいよ基元節まで一日になります。
今日は最高の精誠を尽くして天の前にいい報告ができるように頑張りましょう!

昨日まで多くの方が特別精誠路程に同参してくださいまして後少しです。



感謝します。私たちは
-ごめんなさい。
-許してください。
-ありがとうございます。
-愛しています。
いつも心掛けるようにしましょう。

天一国2年天歴1月12日
今日のみ言葉

    なぜ怨讐を愛さなければ私たちの道を越えていくことができないのか説明します。これは原理の本にはありませんが、とても重要なことなので知っておかなければなりません。堕落した天使長が神様を讒訴しても、神様であられるがゆえに、たとえ天使長は堕落したとしても神様が立てられた法度を遵守せざるを得ないのです。神様は絶対者であられます。

それゆえ天使長が堕落したとしても、神様は被造物を御自身の立てられた法則、規則に従って主管せざるを得ません。これは、神様が堕落以前の天使長になさろうとされたことが何であろうと、堕落したのちもそうせざるを得ないということを意味します。それゆえ天使長は神様に「神様、あなたは私を完成期まで、完成期ののちまでも愛されることになっています」というのです。

 アダムになろうとすれば、三人の天使長を治めなければなりません。天使長は絶対服従しなければなりません。絶対服従して絶対に愛さなければならないのです。神様に絶対順従せず、絶対服従できないサタンは、絶対服従すべき天理原則が残っている限り、原理原則が残っている限り、その原理原則をサタンの勝手にすることはできません。

その原理原則に順応するしかないということをサタン自身が知っています。神様が全知全能であっても原理原則に反すれば除去されるのです。大統領でも憲法を通してこそ行使できるのと同じです。憲法になければ大統領も勝手にできないようになっています。

神様は神様の神秘的な創造力を活用して、サタンを屈服させるのではありません。自然屈服です
1970年1月1日
おはようございます。
いい朝ですね。気温は少し冷たいですが心は暖かい一日に慣れますよう。

いよいよ基元節まで一日になります。
今日は最高の精誠を尽くして天の前にいい報告ができるように頑張りましょう!

昨日まで多くの方が特別精誠路程に同参してくださいまして後少しです。



感謝します。私たちは
-ごめんなさい。
-許してください。
-ありがとうございます。
-愛しています。
いつも心掛けるようにしましょう。

天一国2年天歴1月12日
今日のみ言葉

    なぜ怨讐を愛さなければ私たちの道を越えていくことができないのか説明します。これは原理の本にはありませんが、とても重要なことなので知っておかなければなりません。堕落した天使長が神様を讒訴しても、神様であられるがゆえに、たとえ天使長は堕落したとしても神様が立てられた法度を遵守せざるを得ないのです。神様は絶対者であられます。

それゆえ天使長が堕落したとしても、神様は被造物を御自身の立てられた法則、規則に従って主管せざるを得ません。これは、神様が堕落以前の天使長になさろうとされたことが何であろうと、堕落したのちもそうせざるを得ないということを意味します。それゆえ天使長は神様に「神様、あなたは私を完成期まで、完成期ののちまでも愛されることになっています」というのです。

 アダムになろうとすれば、三人の天使長を治めなければなりません。天使長は絶対服従しなければなりません。絶対服従して絶対に愛さなければならないのです。神様に絶対順従せず、絶対服従できないサタンは、絶対服従すべき天理原則が残っている限り、原理原則が残っている限り、その原理原則をサタンの勝手にすることはできません。

その原理原則に順応するしかないということをサタン自身が知っています。神様が全知全能であっても原理原則に反すれば除去されるのです。大統領でも憲法を通してこそ行使できるのと同じです。憲法になければ大統領も勝手にできないようになっています。

神様は神様の神秘的な創造力を活用して、サタンを屈服させるのではありません。自然屈服です
1970年1月1日
おはようございます。
今日も一日 、元気で、感謝と喜びの心で、共に…宜しくお願いします。

面白く楽しく分かち会える教会を造ろう。

天一国元年天歴12月13日

 今日の訓読のみ言

(み旨の道)
「先生は三十歳を過ぎるまでお腹がすかなかった日はない。神に誓った基準がなされていないのにどうして安らかに食べて眠られようか。」

 人間自身にサタンが残っているから、分別しなければならない立場にあるわけだけれど、分別圏内にあるその段階にあるその段階 においては、心情ばかりでは通じないというのです。

勿論分別がなされてからは、神ばかりによる立場に立って心情を中心として、 それから審きという問題が始まるわけです。だからそこに行くまで何でもって分別しながら行くかというと知恵でもってする。そういう立場においては、神も教えてやる事が出来ないのであるから、体験によってサタンに対応する戦法、即ち戦いの方法をあらゆる 方面から活用させて、そして環境を分別してサタンを追い出さなければならない。

     先生は今もそういう戦いをしている。それは誰にも相談する事が出来ない。たった一人でこれを解決していくお母様はお父様について来ます。絶対服従すれば 通ずるんです。何故 かというと、エバがアダムを主管したのが堕落であるから、このあやまちから復帰きされるには、アダムに完全に主管されなければならない。

しかし最前方に立って闘うのはアダムがやらなければならない。それは30数億の民を悩みの底に落しているのはサタンで ある。しかし天使長をしてサタンとならしめた、即ちそれを決定ずけたのは誰かというと、アダムである。

   エバじゃない。だから アダムが 最後の決断をしなければならないという立場が、どこまでもある。だからこれを世界のはてまで追いよせてゆかなければならないというのが先生の使命観であるわけです。
今日も元気に。
1970年1月1日
おはようございます。
今日も一日 、元気で、感謝と喜びの心で、共に…宜しくお願いします。

面白く楽しく分かち会える教会を造ろう。

天一国元年天歴12月13日

 今日の訓読のみ言

(み旨の道)
「先生は三十歳を過ぎるまでお腹がすかなかった日はない。神に誓った基準がなされていないのにどうして安らかに食べて眠られようか。」

 人間自身にサタンが残っているから、分別しなければならない立場にあるわけだけれど、分別圏内にあるその段階にあるその段階 においては、心情ばかりでは通じないというのです。

勿論分別がなされてからは、神ばかりによる立場に立って心情を中心として、 それから審きという問題が始まるわけです。だからそこに行くまで何でもって分別しながら行くかというと知恵でもってする。そういう立場においては、神も教えてやる事が出来ないのであるから、体験によってサタンに対応する戦法、即ち戦いの方法をあらゆる 方面から活用させて、そして環境を分別してサタンを追い出さなければならない。

     先生は今もそういう戦いをしている。それは誰にも相談する事が出来ない。たった一人でこれを解決していくお母様はお父様について来ます。絶対服従すれば 通ずるんです。何故 かというと、エバがアダムを主管したのが堕落であるから、このあやまちから復帰きされるには、アダムに完全に主管されなければならない。

しかし最前方に立って闘うのはアダムがやらなければならない。それは30数億の民を悩みの底に落しているのはサタンで ある。しかし天使長をしてサタンとならしめた、即ちそれを決定ずけたのは誰かというと、アダムである。

   エバじゃない。だから アダムが 最後の決断をしなければならないという立場が、どこまでもある。だからこれを世界のはてまで追いよせてゆかなければならないというのが先生の使命観であるわけです。
今日も元気に。
1970年1月1日
おはようございます。
昨日は総動員特別礼拝が行われ多くの方が参加してくださいましてありがとうございました。


天一国2年天歴1月11日
今日のみ言葉

天国とはどのような所でしょうか。サタンを屈服した所です。自身を屈服した所ではありません。自体だけを屈服した所ではありません。堕落した世界圏、習慣的な環境圏、あるいは常習化した所には、天国は臨むことができません。

この常習化された環境を、サタンが凝り固まって支配しているために、サタンがここに寓居しているために、このサタンの環境を克服してしまってこそ、天国が来るのです。天国は、サタン世界の内容と相反する所で成されます。もし、そのようでなかったら、天国に成り得ません。
 天国という名前がついていても、それは環境をたぶらかすためのトリックにしかならないのです。

 天国という概念は、サタンを屈服した場所で、サタンが相対することができる一切の要因を否定した場所で、否定するだけでなく清算した場所で、成立することができます。サタンの否定的与件が残っている、歴史的な遺物であるとか、生活のすべての内容を否定して清算した基盤で、天国が肯定され得るのであって、それを残しては、天国の内容を提示することはできないのです。天国は、このように高貴なものです。

 絶対的基準の前に一致し得るものが天国だといいますが、我々が描く天国の概念は、あまりにも混み入っています。あまりにも邪となった立場で、天国を待ち望んでいます。このような生活環境で、絶対的な信仰基準をもって克服するところから天国が始まるのは間違いありませんが、それだけでは天国は決定され得ません。その基盤で、数千年間神様を苦労させ、数多くの人類をもてあそんだサタンを克服してこそ、天国が繰り広げられるのです。

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