おはようございます。
□誓いの条件は大きい。 生命を懸けて誓い立ち上がるとき、神は対さざるを得ない
天一国2年天歴5月9日
今日のみ言葉
神は対さざるを得ない父子
の絆を結んであげようという神様
私たちは、訪ねてこられる神様に、 必あず侍るべき運命に置かれています。 皆さんがいかなる指導者に仕えているとしても、 その指導者は皆さんが永遠に仕える者ではありません。 今日この地上にいかなる理念を主張する代表者がいるとしても、 その代表者も永遠に仕える者ではありません。 私たちが永遠に仕え、 永遠に共に生きなければならない方とは誰でしょうか。 それは正に永遠無窮に存在される神様です。 皆さんはそういう立場に立たなければなりません。 一から千万事に至るまで、 神様に侍って生活できるところまで進まなければならないのです。 世の中では、ある主権者の息子、娘であると自慢しています。 ある会社の社長の息子、娘であると自慢します。しかし、 それは問題ではありません。それは、あとでなくなるのです。 本当に自慢できるものがあるとするなら、 それは善の理念を通して天地万物を造られた創造主である神様に対 して、皆さんが父と呼ぶことができ、 その創造主が皆さんに対して息子、 娘と呼ぶことができるということです。 それ以上の場がどこにありますか。
「神様は愛だ」と言われました。
やはり神様は愛の神様です。 なぜ愛の神様でしょうか。 人間が求めている最高のことを人間の前に約束され、 人間を導いてこられたからです。私たちは神様を言葉だけで「父」 と呼んでいますが、その内容を知らずにいます。 実はその内容を体得しなければなりません。私たちは今まで、 天にいらっしゃる真の父、全宇宙を造られた創造主を「父」 と呼んできました。しかし、 その父を本物の父として侍ったかといえば、 そうではなかったのです。名前で満足される神様ではないのです。 実体の中心として父子の絆を慕われ、 来られた神様であるということを私たちは知らなければなりません 。救いは名前で得るのではありません。 実体によって救いを得るのです。 名前で因縁が結ばれるのではなく、 実体と因縁が結ばれなければなりません。
投稿日:1970年1月1日