- 1970年1月1日
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おはようございます。
人間は愛で生まれたので、愛の道を行き、死ぬ時も愛のために死ななければなりません。
天一国2年天歴7月26日
今日の訓読み言葉
神様とサタンだけが知っている内容ですが、これをすべて発表するので
霊界で反対が起こるのです。それで、四十日間霊界の混乱時代が来ます。 サタンが神様を否定する条件を立てて反対するので…。 そこで霊界の半分が別れて反対しました。 ですから混乱が起こるのです。最後に至っては神様が「 どれが真なのか」ということで判決しなければなりません。 それで、真の父母が霊界を完全に屈服させて、 神様の印を受けて地上に降りてくるのです。
天下を統一するためには霊界を統一しなければなりません。霊界の先祖から「文総裁は異端者だ、反逆者だ!」と言われます。 のちには神様までも
「そうだ。捨ててしまいなさい」と言うのです。蕩減原則がそうです。アダムとエバが神様を否定したので、 神様もアダムとエバを条件的に否定しなければならないのです。 否定する立場から肯定し、 私の神様として取り戻さなければなりませんし、 私の天国として取り戻し、神様の印を受けなければなりません。 そうして神様がここに共に立って讒訴してから、あとではすべて… …。
先生の性格は、一度始めれば最後を見届けるまでやめません。死ぬ前には後退をしないのです。この「原理」 がどうだということを私がはっきりよく
知っていて、自信満々なので、食ってかかるのです。イエスだとか孔子とか、
何を知っていますか。彼らは「ああ、私が学んだのはこのようなものでしたが……」と言うのです。 彼らは自分たちが教えた教理にはないと否定的事実を
質問するのです。また、「そうではない!」と言うのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
死や霊界について正確に知って、永遠の世界への準備を正しく行うことができるならば、人は悔いのない人生を歩むことができるでし ょう。
天一国2年天歴7月25日
今日の訓読み言葉
神様が今日まで罪多き人類を尋ねてこられるときには、神様の本性を基準として、人間に少しでも似た部分があれば、その部分を多 くの悪性よりも大きく評価し、それにすがって訪ねてこられたので す。それが父母の心です。
皆さんは今日、民族的な使命と世界的な使命をもって、父母の心情へと進んでいかなければならない立場に立っています。皆さんが民 族を見つめるとき、その民族は失った父母を探し出すために、泣き 叫ぶ孤児のような立場に立っているということを知らなくてはなり ません。一つの国を見るときにも、父母を失った国として、世界を 見るときにも、父母を失った世界として見ることのできる心情をも たなければなりません。そうして皆さんは、 天との因縁を再び結ぼうとする心で、新しい根拠地に向けて立ち上 がることのできる基準を準備しなければなりません。イエス様も、 それを実現するためにこの地に来られたのです。
それで私たち統一教会でも父母の心情で僕の体を用い、血と汗と涙で復帰の使命を完結しようというのです。統一教会が超えるべき試 練がありますが、それは世界のどんな主義や思想も超えられない峠 であり、民主世界やどんな体制も超えることのできない峠です。彼 らが行けない道を私たちが行き、彼らができない仕事を私たちがし なければならないのです。
そのためには、今日皆さんがこの場でとどまっていてはなりません。皆さんが立っている場は安息の根拠地ではありません。福地へ行 く過程です。私たちには個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に 、国家的に、さらには世界的に行かなければならない運命が残って いるのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
死や霊界について正確に知って、永遠の世界への準備を正しく行うことができるならば、人は悔いのない人生を歩むことができるでし ょう。
天一国2年天歴7月25日
今日の訓読み言葉
神様が今日まで罪多き人類を尋ねてこられるときには、神様の本性を基準として、人間に少しでも似た部分があれば、その部分を多 くの悪性よりも大きく評価し、それにすがって訪ねてこられたので す。それが父母の心です。
皆さんは今日、民族的な使命と世界的な使命をもって、父母の心情へと進んでいかなければならない立場に立っています。皆さんが民 族を見つめるとき、その民族は失った父母を探し出すために、泣き 叫ぶ孤児のような立場に立っているということを知らなくてはなり ません。一つの国を見るときにも、父母を失った国として、世界を 見るときにも、父母を失った世界として見ることのできる心情をも たなければなりません。そうして皆さんは、 天との因縁を再び結ぼうとする心で、新しい根拠地に向けて立ち上 がることのできる基準を準備しなければなりません。イエス様も、 それを実現するためにこの地に来られたのです。
それで私たち統一教会でも父母の心情で僕の体を用い、血と汗と涙で復帰の使命を完結しようというのです。統一教会が超えるべき試 練がありますが、それは世界のどんな主義や思想も超えられない峠 であり、民主世界やどんな体制も超えることのできない峠です。彼 らが行けない道を私たちが行き、彼らができない仕事を私たちがし なければならないのです。
そのためには、今日皆さんがこの場でとどまっていてはなりません。皆さんが立っている場は安息の根拠地ではありません。福地へ行 く過程です。私たちには個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に 、国家的に、さらには世界的に行かなければならない運命が残って いるのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
統一教会では神と霊界の存在をはっきりと認め、人生の目的は人が神のみ言に従って生きることによって愛を完成す ることであり、 死後においても霊界で永遠に生きるようになると考えています。 天と地に染み込
天一国2年天歴7月24日
今日の訓読み言葉
「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならな い悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。 知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。 いくら統一教会に従う人が多かったとしても、レバレンド・ ムーンの思想に一つとなっていません。 このようなことを皆さんは知らなければなりません。 統一家というものは、今日、 解放圏に立った統一家というものは安っぽいものではありません。 祝福を受けたという者たちが動くその挙動が今日、 悪魔のいとこの立場に立っているということを私は知っています。
*
「私の闘いがまだ足らなくて、私が涙を流す資格が足らないと感じ、 私が悲しめばお父様が涙されることを案じながら、 私が打たれて耐え難い悲痛な立場に立てば、 天が悲惨な立場に立つのではないかと案じる私の悲痛さは何でもあ りません。私の悲しみは何でもなく、 私の悲しみは何でもありません」 と歯を食いしばって私が涙をこぼせば、 天が涙をこぼすのではないかと案じ、 泣き叫んで怨讐に報いる途上に立ち、先鋒(せんぽう) 将として勝利の旗を掲げて勇み立つ勇士がいるとするならば、 その勇士の前に神様は百倍謝礼するのです。「 お前の名を忠臣としようか、お前の名を孝子としようか、 お前の名を烈女としようか。 地上の歴史上にたとえ貴い者がいたとしても、 お前ほど貴い者はいないであろう」 と神様御自身が頭を下げて謝礼するのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
統一教会では神と霊界の存在をはっきりと認め、人生の目的は人が神のみ言に従って生きることによって愛を完成す ることであり、 死後においても霊界で永遠に生きるようになると考えています。 天と地に染み込
天一国2年天歴7月24日
今日の訓読み言葉
「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならな い悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。 知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。 いくら統一教会に従う人が多かったとしても、レバレンド・ ムーンの思想に一つとなっていません。 このようなことを皆さんは知らなければなりません。 統一家というものは、今日、 解放圏に立った統一家というものは安っぽいものではありません。 祝福を受けたという者たちが動くその挙動が今日、 悪魔のいとこの立場に立っているということを私は知っています。
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「私の闘いがまだ足らなくて、私が涙を流す資格が足らないと感じ、 私が悲しめばお父様が涙されることを案じながら、 私が打たれて耐え難い悲痛な立場に立てば、 天が悲惨な立場に立つのではないかと案じる私の悲痛さは何でもあ りません。私の悲しみは何でもなく、 私の悲しみは何でもありません」 と歯を食いしばって私が涙をこぼせば、 天が涙をこぼすのではないかと案じ、 泣き叫んで怨讐に報いる途上に立ち、先鋒(せんぽう) 将として勝利の旗を掲げて勇み立つ勇士がいるとするならば、 その勇士の前に神様は百倍謝礼するのです。「 お前の名を忠臣としようか、お前の名を孝子としようか、 お前の名を烈女としようか。 地上の歴史上にたとえ貴い者がいたとしても、 お前ほど貴い者はいないであろう」 と神様御自身が頭を下げて謝礼するのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
今日も皆さんの家庭に笑のはなが咲きますように。
天一国2年天歴7月23日
今日の訓読み言葉
時間が余りにも短いのです。一生においてこれを直し、満たすためには時間がないのです。先生の生涯がそうなのです。 ですから世俗的に見れば先生の生涯はかわいそうなものです。 神様に「先生はどんなお方ですか」と聞いてみてください。 先生は痛哭するしかない痛みを感じながら、 心臓をえぐり出すような痛みをもって身もだえするような悲痛さを 体恤しています。先生は地上では悲惨な男です。 そのような苦労を誰も知りません。皆、 自分が立派な人だと偉そうに威張っているだけで、 先生の苦労を知りません。お母様も知りません。
*
神様が六千年間苦労して残された功績をすべて失い、興南収容所へ行った先生の悲痛な事情を皆さんは知りません。 故郷を離れることが問題ではありません。 妻子が問題ではありません。 天と地の未来の希望として解放の民族が、 私を歓迎しようとしていたその群れが、 雲の中の地獄へと消えていく、暗黒世界に去っていくのを見て、 痛哭しながら再び会おうと叫んだのがきのうのようです。「 お前たちは消えていったが、私は再び私の行くべき道を歩み、 光明の朝日を抱いてお前たちを再び探し出して解放しよう」 と宣言したのがきのうのようです。 手錠をかけられ叫んだその声を忘れることはありませんでした。 困難なとき、いつも祈祷したその姿を忘れることができません。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
今日も皆さんの家庭に笑のはなが咲きますように。
天一国2年天歴7月23日
今日の訓読み言葉
時間が余りにも短いのです。一生においてこれを直し、満たすためには時間がないのです。先生の生涯がそうなのです。 ですから世俗的に見れば先生の生涯はかわいそうなものです。 神様に「先生はどんなお方ですか」と聞いてみてください。 先生は痛哭するしかない痛みを感じながら、 心臓をえぐり出すような痛みをもって身もだえするような悲痛さを 体恤しています。先生は地上では悲惨な男です。 そのような苦労を誰も知りません。皆、 自分が立派な人だと偉そうに威張っているだけで、 先生の苦労を知りません。お母様も知りません。
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神様が六千年間苦労して残された功績をすべて失い、興南収容所へ行った先生の悲痛な事情を皆さんは知りません。 故郷を離れることが問題ではありません。 妻子が問題ではありません。 天と地の未来の希望として解放の民族が、 私を歓迎しようとしていたその群れが、 雲の中の地獄へと消えていく、暗黒世界に去っていくのを見て、 痛哭しながら再び会おうと叫んだのがきのうのようです。「 お前たちは消えていったが、私は再び私の行くべき道を歩み、 光明の朝日を抱いてお前たちを再び探し出して解放しよう」 と宣言したのがきのうのようです。 手錠をかけられ叫んだその声を忘れることはありませんでした。 困難なとき、いつも祈祷したその姿を忘れることができません。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
宗教の目的は真理を明らかにし、人がその真理に従って生きることによって、より幸福な人生、 さらには死後においても幸福な生活を送れるようにすることです。
天一国2年天歴7月22日
今日の訓読み言葉
神に一致することができる、神のみ旨に一致することができる、神のみ旨を 中心としては過程的み旨ではなく、 完成的み旨の中心の核と一致することがで きるそれとは何でしょうか。 それが神様の全知全能なのでしょうか。全能性を もってしても駄目なのです。全権でしょうか。違うというのです。 それでは遍 在する素性でしょうか。それも違います。 それは何でなければならないのでし ょうか。神様自身も生きて生活するのは、 もちろん霊界があって時空の関係を 超越したところで生きていくのです。 生きていくには何を中心として生きてい くのでしょうか。無限な力がある、遍在する、全権的権限がある、 それではあ りません。神様も愛を中心として生きていく、 このように見るのです。生きて いくには始まりもそうで、過程もそうで、永遠にそうなのです。 神様も真なる 愛の対象をもつようになれば喜ぶからです。
*
神様は絶対的であり、全知全能なので、愛をひたすら与え与えて、また分け 与えても限りなく補充することができる愛の倉庫をもっています。 それでは、 神様の倉庫から愛を多く盗んで、 夜も昼も限りなく愛を取って分け与え分け与 えるとき、神様が「やあ、こいつ! 盗人、愛どろぼう!」と言って処罰する でしょうか。全知全能な神様なので、「そのようにしろ、 してもいい。いくらで もやってみろ。お前が永遠にやってみろ。 お前が入ってきても余る。それで私 が神様だ。だから私が主体だ!」と、 神様がそのように言われるのです。「私が 主体なので、客体に与えても残ってこそ主体だ。 お前たち客体である人間に与 えても余ってこそ主体としての神様であって、 そうでなければ神様になれない。 私がそうなのだ!」と言われるのです。「 私から愛を盗んで神様の愛の発電所の
ように限りなく与えたいならば、いくらでも補給してあげよう」。それで「これ が全部なくなれば私はまたもっていきたいのですが、 神様の愛のパイプに私を 連結したらどうでしょうか」と言う時、「 そうしたければしなさい」と言うので す。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
宗教の目的は真理を明らかにし、人がその真理に従って生きることによって、より幸福な人生、 さらには死後においても幸福な生活を送れるようにすることです。
天一国2年天歴7月22日
今日の訓読み言葉
神に一致することができる、神のみ旨に一致することができる、神のみ旨を 中心としては過程的み旨ではなく、 完成的み旨の中心の核と一致することがで きるそれとは何でしょうか。 それが神様の全知全能なのでしょうか。全能性を もってしても駄目なのです。全権でしょうか。違うというのです。 それでは遍 在する素性でしょうか。それも違います。 それは何でなければならないのでし ょうか。神様自身も生きて生活するのは、 もちろん霊界があって時空の関係を 超越したところで生きていくのです。 生きていくには何を中心として生きてい くのでしょうか。無限な力がある、遍在する、全権的権限がある、 それではあ りません。神様も愛を中心として生きていく、 このように見るのです。生きて いくには始まりもそうで、過程もそうで、永遠にそうなのです。 神様も真なる 愛の対象をもつようになれば喜ぶからです。
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神様は絶対的であり、全知全能なので、愛をひたすら与え与えて、また分け 与えても限りなく補充することができる愛の倉庫をもっています。 それでは、 神様の倉庫から愛を多く盗んで、 夜も昼も限りなく愛を取って分け与え分け与 えるとき、神様が「やあ、こいつ! 盗人、愛どろぼう!」と言って処罰する でしょうか。全知全能な神様なので、「そのようにしろ、 してもいい。いくらで もやってみろ。お前が永遠にやってみろ。 お前が入ってきても余る。それで私 が神様だ。だから私が主体だ!」と、 神様がそのように言われるのです。「私が 主体なので、客体に与えても残ってこそ主体だ。 お前たち客体である人間に与 えても余ってこそ主体としての神様であって、 そうでなければ神様になれない。 私がそうなのだ!」と言われるのです。「 私から愛を盗んで神様の愛の発電所の
ように限りなく与えたいならば、いくらでも補給してあげよう」。それで「これ が全部なくなれば私はまたもっていきたいのですが、 神様の愛のパイプに私を 連結したらどうでしょうか」と言う時、「 そうしたければしなさい」と言うので す。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
真の愛はどのような愛であり、真の家庭とはどのような家庭をいうのでしょうか。
天一国2年天歴7月21日
今日の訓読み言葉
愛のために死ななければならないという結論が出てきます。その愛とはどんな愛でしょうか。 大宇宙が歓迎することができる愛です。 小宇宙ではないというのです。神様が公認し、天使世界が公認し、 万物が公認し、すべての人が公認し、 私たちの父母が公認することができる大宇宙の中で生まれ、 その中で生きて、その中で愛し、その中で死んでいくことが、 人生の目的だと見るのです。
愛は自分が良いときは父母、兄弟、親戚を訪ねて、一緒に楽しもうとします。良いことは幸福なことなのです。 幸福は永遠なものであり、永遠なものは心情です。 宇宙の中心は何でしょうか。それは父母と子供だというのです。 すなわち父母と私です。神様と私だというのです。 神様はお父さん、私は息子……。人生の究極的な目的は、 父を訪ね、 切ることのできない関係を結んで喜びを感じることです。
家計の帳簿を整理するときにも、収入がいくらで支出がいくらかを正確に決算します。 このように帳簿を整理するときにも、 収支計算を徹底してやるのに、皆さんの人生はどうですか。 一生の間生きたことを収支決算してみましたか。赤字ですか、 黒字ですか。赤字ならば地をたたいて痛哭しなければなりません。











