教会NEWS

1970年1月1日
おはようございます。


天一国2年天歴7月20日
今日の訓読み言葉

家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。

 家庭が大切なのは、もう一つ理由があります。家庭は世界に拡大するからです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。

 家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は、家族を包む囲いであって、愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。神様から受けたものだからです。神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。その愛を受けて育った人は、誰でも真の人生を生きることができるのです。
1970年1月1日
おはようございます。


天一国2年天歴7月20日
今日の訓読み言葉

家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。

 家庭が大切なのは、もう一つ理由があります。家庭は世界に拡大するからです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。

 家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は、家族を包む囲いであって、愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。神様から受けたものだからです。神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。その愛を受けて育った人は、誰でも真の人生を生きることができるのです。
1970年1月1日
おはようございます。
家族といい時間過ごせるようにしましょう。

天一国2年天歴7月19日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
おはようございます。
家族といい時間過ごせるようにしましょう。

天一国2年天歴7月19日
今日の訓読み言葉
1970年1月1日
おはようございます。
私達はお互いに教えられ、励まされ、訓練されたこの出会いに感謝し、次の段階に行きましょう。

天一国2年天歴7月18日
今日のみ言葉

天の心情を敬い慕い、天の理念を待ち焦がれ、天の復帰の園を見つめる真の心をもったという人の中には、神様をたたえながら栄光の立場、楽しむことができる立場で喜びを体得するために努力する人は多いかもしれませんが、小さな草木から昆虫に至るまで、さらには全体に及んでいる天の父の内的心情の絆を想起(そうき)しながら喜ぶことができる人は少ないのです。御自身の精力をすべて傾けて、ある昆虫を造ったというとき、その方が傾(かたむ)けた以上の精力をもって愛そうという人が現れ、心の底からその昆虫を愛してくれるならば、その昆虫を造った方にとってそれ以上の満足はないでしょう。

 では、二千年前、イエス様は神様の前に民を探し立ててさしあげる前に、何を探そうとなさったのでしょうか。彼の心情は何を探してさまよいましたか。民を抱き締めて、彼らが天の嘆きの圏内にとどまっていると気をもまれたイエス様であり、彼らのために夜を明かして涙を流しながら祈祷してくださったイエス様であったことに間違いありません。

 もしイエス様が、人間始祖の堕落によって本然の心情的因縁を蹂躙された万物が嘆息圏内に置かれていることを眺めて、泣いて夜を明かしながら悲しまれた方でなかったとすれば、彼は全宇宙を統治でき、救うことができる救い主になれなかったでしょう。
1970年1月1日



おはようございます。今日は聖和2周年になります。
お父様が聖和されて2年間の間数多く変化がありました。変化が発展になれるように、出発になれるように。

天一国2年天歴7月17日
今日の訓読み言葉

 人のために与え、また与えるのは、再創造する上で、神様が創造時に御自身を消耗させた立場と一致します。私を投入するということは、第二の私をつくるためのもので、神様が創造する時、御自身を投入されたのと同じです。再創造の歴史は蕩減復帰路程であり、蕩減は再創造の歴史を通じてするので、御自身を投入するところにおいてのみ再創造が展開されます。ですから犠牲になるのは不可避だというのが理論的な結論です。

 愛は、自分を100パーセント投入することです。神様が天地を創造する時、愛ゆえにすべて100パーセント投入したのです。ですから真の愛は、「ため」に生きるところから始まるのです。

投入し、投入し、また投入するところから真の愛の論理が始まるのです。「ため」に生きるところは滅びません。小さいところから大きいところに、そして大きいのがその次にはどこへ行くのかといえば、中に回るのです。

 愛とは、与えて満足するのではなく、与えてももっと与えたいのに、与えられなくて恥ずかしさを感じる、そのようなものが愛です。与えて恥ずかしさを感じる人であればあるほど、本当の愛の主人です。愛は、与えれば与えるほど、もっと大きいものに加えられます。また作用すればするほど、入る力より出ていく力がもっと大きいのです。ですから滅びるのではなく、栄えるのです。愛なくして栄えることはありません。
1970年1月1日
おはようございます。
 真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいても、ただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくる愛です。

天一国2年天歴7月16日
今日の訓読み言葉

 統一教会は、何をするためにこの世に現れたのでしょうか。この罪を悔い改める  ことのできる道を教えてあげようとして現れたのです。そうするためには、どのような自覚をもたなければならないでしょうか。信仰で救いを得るそのような内容よりも、数多くの王を代表した自覚、数多くの夫を代表した自覚、数多くの息子を代表した自覚、そうして、イエス様の前で堂々と自分を主張するのではなくイエス様に対して生命を捧げようという自覚をもたなければなりません。

 そのような立場で死んでいきながらも、イエス様を愛し、人類を愛し、逝こうとするなら、イエス様の前にあって相対的刺激になって、救いの道を訪ねていけるというのです。

 ですから、世界を代表した自覚をもたなければなりません。男性も世界を代表した自覚をもたなければならず、女性も世界を代表した自覚をもたなければなりません。歴史的な勝利の祭物にならなければならないという自覚、時代的な勝利の主体にならなければならないという自覚をしなければならないというのです。メシヤを殺したので、自覚しなければならないそのような立場で、殺したそのお方の前で、自分が死んで蕩減し、そのお方の哀れみが自分に及ぶことによって、彼と共に復活の栄光に  参与しようという心をもたなければなりません。そうでなくては、天国に入ることができないというのが原則なのです。
1970年1月1日
天一国2年天歴7月15日

◆◆ ハワイにおける真のお母様の最新のみ言の ◆◆
恩恵とともに聖和2周年を迎えましょう!

 7月末に宋龍天会長始め、88人の全国の責任者たちがハワイで真のお母様と約4日間にわたって貴重な時間を過ごし、お母様から多くのみ言を受けました。私は留守番役として日本に残りましたが、帰国された宋総会長たちからハワイでのようすを伺いました。今回、お母様が語ってくださったみ言について7つの観点でまとめてみたいと思います。

[1]「神霊と真理」が天一国創建の原動力
 第1に、このたびもお母様は「神霊と真理、この統一教会の草創期の伝統に返らなければなりません」と語られています。
 先にスイスで宋総会長がお母様に侍られたときのいちばんの核心ポイントが、「神霊と真理に満ちあふれた個人、家庭、教会づくり」でした。これこそが天一国創建の原動力です。

[2] 「天一国経典」の意義
 第2に、お母様が三つの天一国経典『天聖経』『平和経』『真の父母経』をまとめられた動機や目的を語られたことです。
 「真のお父様の600巻を超えるみ言を全て訓読した人はいますか。堕落した世界は異なる言語の文化背景をもっているので、それを全て届けることができませんでした。祝福家庭であっても、(地上で)そのみ言を全て読むことはできないのです」これは、たとえ祝福家庭であっても、全てのみ言を訓読することなく聖和していく食口がどれほど多いかということです。お母様は「お父様のみ言を天一国経典としてまとめることから着手したのです」と語られています。

[3] 二世教育・後継者育成の重要性     第3に、二世教育と後継者の育成の重要性について言及されました。
 「未来のための二世、三世の教育に重点を置くために天宙平和士官学校を創設しました。またお父様が最後にやりたいと思っていらっしゃった圓母平愛財団を始めたのです」
 お母様は二世教育の重要性を痛感なさり、お父様が願われた天宙平和士官学校ならびに圓母平愛財団を通して奨学金支援を始められました。お母様は「後継者の教育とは安全装置を準備するようなものです」と語られています。

[4] 父母様への食口の愛は全世界共通       第4に、「食口たちの真の父母を慕う思いは全世界共通です」と語られています。
 お母様がスイスの12の山々を毎日登られた話を聞いたニュージーランドのある食口が、「お母様がそこまで精誠を尽くしておられるのに、私たちは何をしているんですか。こんなことではいけないでしょう!」「お母様は大丈夫でしょうか。どなたがお母様をお守りしていたのでしょうか」と言って心配したそうです。
 その報告を聞かれたお母様は大変感動なさり、父母様への熱い思いに感謝の気持ちを表されたそうです。

[5] 真のお母様の摂理的価値と血統的背景

第5にお母様は、天が準備された「ひとり子」と「ひとり娘」という内容を語られています。
 「天のひとり子としてのイエス様が果たせなかった使命を蕩減復帰するために、天のひとり子として準備された再臨のメシヤ、真のお父様の相対として、天のひとり娘として、私は血統的、歴史的に準備されて地上に生まれてきたのです」
 お母様は「私が立っている摂理的、歴史的、血統的な価値、背景の重さを理解しなさい」と語られます。お母様が立たれる位置は、真のお父様の相対として神学的に深い摂理的価値と血統的背景があることを理解していただきたいと思います。

[6] お母様が地上におられる時に忠孝を尽くしなさい
 第6に、このたびも「お母様が地上におられる間に頑張りなさい」と強調されました。
 私たちが責任を果たすように願い、「皆さんが知らなければならないことは、お母様が生きているときに、孝子、孝女になることです。それが最も重要です。皆さんがむやみに出会い、向き合うことのできる真の母ではありません。この時がどれほど貴重であるか、歴史的、摂理的な現象であるかを理解しなさい」と語られます。

[7] 真の家庭に対して心配しなくてもよいのです
 第7は、今回最も心に残った内容で、「皆さんは真の家庭に対して心配しなくてもよいのです。皆さんがどのように環境を広げ、大きく築くかによって、どのくらいの水が入るかが決まります。問題は皆さんです」とのみ言です。
 真の家庭のために祈ることはとても重要ですが、ただ人間的な低いレベルで心配するのではなく、問題は私たちにあります。まず私たちがお母様を中心として心情的に一つとなり、一体化してみ旨を勝利し、天一国実現に向けて大きな実績をあげることができれば、真の家庭はまとまっていくので心配しなくてもよいということなのです。
1970年1月1日
おはようございます。
地上で実体をもって、アダムとエバが侍り得なかった神様に侍り、真の父母に侍って生きていくのです。そういう条件が、天国に入れ
る資格になるというのです。
​​
それで天国の市民権をえるようになるのです。

天一国2年天歴7月14日
今日の訓読み言葉

 今このような神の所望のみ旨を成してあげるには、皆さんはどうしなければならないのでしょうか? まず神の国と神の義のために、血の滲(にじ)む十字架の道を耐えて行かれたイエス・キリストの後に従う人間にならねばならず、次には6000年の歴史の中で、数多くの先知先烈たちが自分一身の栄光をふり捨て、神のみ旨を成すために苦労したその道に従って行く人間にならねばなりません。
とろでもしも皆さんが、このような道を行かず、自分のある栄光のための道を行ったなら、皆さんは神のまえに、また数多くの先知先烈たちのまえに、堂々と出て行くことはできません。また死んで霊界に行っても、神様のまえに出ることができず、神様の愛の懐に安らぐことはきません。即ち、信じることも自分の為に信じ、死ぬことも自分だけが救われるために死ぬ人間は、あの世に行っても神様のまえに堂々と立てないことを、皆さんは肝に銘じなければなりません。
1970年1月1日
おはようございます。

天一国2年天歴7月13日
今日の訓読のみ言

我々が訪ねるべき本郷

 我々人間が訪ねるべき本郷です。今日、我々は堕落した人生として、本郷から追放された人間になったために、本郷の地に向かって帰るべき運命にあるのです。
しかしそこへは、その人間自体としては入ることができないために、神様は、人間が入ることができる道を歴史過程に設定せざるを得ません。

 それで、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統が異なることによって、数多くの宗教を立てて収拾していきました。そのように収拾するための訓練場として立てたのが宗教です。ですから宗教は、本郷の地に入ることができる資格者を錬磨させる訓練場です。東西四方の文化背景によって、高い所に前進することができる一つの統一された宗教世界を率いてきています。

 そのような本郷の所へ導くべき宗教であるために、宗教は何を教えているのでしょうか。「ため」に生きなさいということを教えていると言わざるを得ません。そして、高次的な宗教であるほど、「ため」に生きるべきだという原則を強調しなければならず、「温柔(おんじゅう)謙遜(けんそん)」であれと言うのです。
犠牲奉仕せよ」と教えるのです。なぜでしょうか。本郷の地その国の法度に合う訓練をしなければならないからです。

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