- 1970年1月1日
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おはようございます、
5月最終日です。
□先生は今まで針先に立ったのと同じような、そのような霊的雰囲気の中で過ごしてきた
天一国2年天歴5月3日
今日のみ言葉
◇今日私たちが新しいみ言を伝えるにおいて、み言一つだけを伝えてはなりません。 まず人間的な面で手本となり、生活的な面で手本となり、 行動的なすべての面で
手本とならなければなりません。すなわち、その村で上下関係やすべてに、
彼らの前に手本とならなければならないのです。どのような面でも、彼らより劣ってはならないのです。
彼らが「あの人は我々の村に本当に必要な人だ」と言って、自分が離れようと
するとき、すべての部落が一致団結してそのまま住んでくれることを願う基盤 をつくらなければなりません。
こういう立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、いかなる姿勢を備えなければならないでしょうか。 祖国の主権復帰のための信念が、何よりも高く
胸の中に燃えなければなりません。密使は、いつも祖国のために生きる人です。
神様が願われる祖国の主権を取り戻さなければなりません。新しい人類の
祖国の主権を取り戻さなければなりません。永遠な生命を保護してくれる
私たちの祖国を探すという観念が、何よりも高く胸の中に燃えなければなりません。
神様は、どのような方でしょうか。神様は密使の大王です。祖国の主権復帰のために、サタン世界に現れる密使の大王であり、 総司令官です。自分のために生きることは、 その時は良いようですが、滅びるのです。 しかし密使の使命を果たすことは滅びるようですが、 必ず天の主権が彼と共に成すために滅びることがないのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
◇「万物の日」を祝う理由は皆さんに属した万物を、神様の前に結束させるためです。そのためには、皆 さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを神様の前に奉献し捧げなければ なりません。それが皆さんの責任です。また世界、 地球星を神様の前に奉献してさしあげなければなりません。
天一国2年天歴5月2日
今日のみ言葉
「後天時代の生活信仰」
◇創造の起源は、愛を中心として「ために生きる」論理でした。対象のためにすべて投入すること、これが偉大なのです。 ここから生活哲学が出てきます。 愛は理想的な航海をしなければなりません。 私たちがそのような目的世界に向かって、 方向性を定めて生きていくためには、 ために生きなければならないという生活哲学の論理が出てくるので す。完全投入しながら行く道以外には、 真の愛の道に出会うことはできません。それは、完全に投入し、 完全に「ために生きる」ところにおいてのみ可能です。 このようなことが、 すべて理論的に生活哲学の基盤にならなければなりません。( 173-213)
投入して忘れてしまう人は、必ず中心存在になるのです。これは天理原則です。皆さんの兄弟なら兄弟、 友人なら友人の中でも、全体のために生きれば、 自分が願わなくても自然に中心存在になります。 私のために生きなさいとすれば、すべて消えていきます。 破壊されるのです。自分のために生きる所は、
破壊されるのでサタン側であり、人のために生きる所は、全体が一つになるので天の側です。皆さんも、生活哲学において、 このような原理的基盤を基調として立て、 生活のすべての舞台を整備していかなければなりません。
私は、できる限り忘れてしまいます。世の中の困難だったことを、すべて忘れてしまいます。それが生活哲学です。 記憶もしないのです。3年たてば、その顔があやふやになります。 記憶する必要がないのです。 神様が堕落したことを今まで記憶していれば、 どのように生きていくのですか。それを忘れてしまった立場で、 再創造するために、自分を投入するために努力されたのです。 ですから、神様の愛は、偉大な愛なのです。(202-324)
どこかに行って日雇い仕事をするとしても、「私は、きょう主人になって働くのだ!」と考えなければなりません。 日雇い労働者として働くなというのです。この本意を知ったので、 働いて忘れてしまい、働いて忘れてしまおうとする人は、 仕事をしても疲れません。私のような人は70を超えましたが、 これが生活哲学になっています。 もっと投入しなければならないということです。 足がふらふらしても、もう少し投入しようというのです。( 222-20)
「終始一貫」という言葉があります。皆さんは、このようになってはいけません。皆さんは、「始小終大」 になることができるようにしなければなりません。 たとえ始めは小さくても、 終わりは大きくなければならないのです。 それが先生の生活哲学です。先生は、いくら難しくても、 難しいとは考えません。台風が吹いてくるとき、根が弱ければ、 抜かれて飛んでいきます。 どんなに吹きつけてきても抜けない基準にまで、 願いを成し遂げ得る基準にまで、やるのです。
(231-312)
統一教会の教会員たちは、「終始一貫」ではありません。「始小終大」です。終わりが大きくなければなりません。 その世界は、与えてまた与えようとするので大きくなるのです。 堕落したので、復帰する過程においては「終始一貫」です。 それは、同じであってこそ合うからです。しかし、今後、 私たちの世界は、 自分を中心として自分が大きくなってはいけません。 愛を中心として、真の愛が願う世界を一つにするにおいては、 終わりが大きくなければならないのです。「竜頭蛇尾」は、 私たちには必要ないのです。(231-350)
私を捕まえて監獄にほうり込んでも、「始小終大」の思想で絶対に後退しません。 大きなものを前にしてぶつかるのです。ぶつかるようになるとき、 誰が守ってくれるのでしょうか。神様が守ってくださるのです。 神様が主人であり、主体になるのです。 - 1970年1月1日
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5月29日(天暦5月1日)
は、第52回「真の万物の日」です。おめでとうございます。
□祭物は平和的な立場において捧げるのではなく、常に第一線において捧げるのが原則である。
天一国2年天歴5月1日
今日のみ言葉
◇真の万物日
創造原理の観点から見ますと、万物主管とは第三祝福の完成ですから第一祝福、 第二祝福が完成された基台の上で初めて可能になるのです。 それゆえ、個性完成した男性と女性が神を中心として結婚し、 夫婦が一体となって真の愛を完成し、 家庭を形成してこそあらゆる被造物への主管性が確立することを意 味しているのです。
しかしアダムとエバの堕落により、本来の愛の主人を失ってしまいましたので、万物は「 今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けている」( ローマ8・22)といわれるような状態に陥ってしまいました。
しかし真のご父母様が「父母の日」と「子女の日」を制定されることによって、 初めてアダムとその家庭を中心として失った万物世界を再び探し得 る基準を準備することができた日であり、 言い換えれば真の父母と真の子女が一体となって万物に対する所有 を決定し、これを宣布した日が「万物の日」です。
さて、「万物の日」宣布の近因となった内容を考えてみますと、第一に、「天勝号」進水式(1963年6月26日)で、 文先生が「きょうこの『天勝号』の進水式を挙げるのは、 天と地すべての勝利の出発になる」というみ言を語られたこと、 第二に、祖父母・父母・子女の意味を持つ、3代連続行事(祝福) 、36双(61年)・72双(62年)・124双(63年) の区切りともいえる、 124双の祝福が7月24日に成されたことなどが挙げられます。
そのような基台の上で1963年7月26日(陰暦6月6日)、ソウル本部教会で「万物の日」を定められ、 天の子女の名前で天下万物を挙げてささげる「貢献式」 をもちました。その席上で文先生は「本年に限り、 事情によって日を延ばして記念式典を行いましたが、 翌年からは毎年陰暦5月1日に行う」とおっしゃいました。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
□霊的な流れと社会的な流れが一つになれば、世界に平和がもたらされる。
天一国2年天歴4月29日
今日のみ言葉
◇私たちがよいと思い、私たちが信じ、私たちがよりどころにした 世の中の一切は、私たちの心の世界と永遠の望みの世界には 助けにならないということを知っていますので、お父様、このすべてのものを捨て、ただお父様を中心とした望みが私たちの 生命全体となるよう許諾してくださり、 生涯のすべてとなるよう許諾してくださいますことを切にお願い申 し上げます。 お父様のために生き、お父様に向かう望みが、 私たちのどのようなものよりも一層貴重であり、 私たちの生命よりも一層貴重でありますので、それを捕まえ、 闘っていく者にならなければお父様の 息子・娘になれないという事実を私たちは知っています。死の峠 までもあざ笑い、 越えて立つことのできる強い望みを私たちに許諾してください。
それが望みとしてだけ終わるのではなく、この望みに燃える衝撃の心が一層強くなるよう許諾してください。
そうして、その心と体がこの道に向かって走り得る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます 。
お父様のために生きようとする望みの一念が強い者でなくては、死の道まで越えることのできる望みをもった者でなくては、 あなたが信じることができないという事実を、 私たちが悟るようにしてください。今日私たち の望みは、数年間もっていて途中でやめる望みではなく、 永遠に捕まえていくべき望みであることを知り、 ひいてはその望みがなければ生きがいがないということを悟る息子 ・ 娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます 。お父様!私たちがお父様を思えば思うほど、 お父様が慕わしくなる望みの心情、 お父様の生命を慕う望みの心情、 お父様の愛を慕う望みの心情をもつよう許諾してくださいますこと を 切にお願い申し上げます。
数多くのサタンたちがこれを奪うために、私たちを侵犯していることを知っていますので、 あなたが許諾なさった望みの心を終わり まで捕まえ闘って、 お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・ 娘となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。 最後に残された戦場でお父様の望みを捕まえ、 サタンと闘って勝利し、 お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・ 娘となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げな がら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アージュ - 1970年1月1日
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おはようございます。「神の悲しい心情、親としての苦しみを味わい知らされた時には、
木を抱き締めていつまでもいつまでも泣き続けた。」
天一国2年天歴4月27日
今日のみ言葉
祈祷の意義と必要性
◇祈祷というものは、心と体を神様の前に捧げることです。物を神様の前に捧げるのではなく、 自分の心と体を完全に神様の前に捧げるための精誠の時間が、 祈祷の時間なのです。(1970・1・1)
一人で静かな所に行って、月を見つめながら感謝し、すべての自然と呼吸できる心霊的生活、 すなわち祈祷生活が必要です。今、先生もそうです。 私が海に出ていくのも、その心情を体恤するためです。 それが御飯を食べることより、もっと貴いというのです。( 1977・9・1)
祈祷というのは何かというと、浄化です。自分の精神を浄化させるために必要なものです。 精神を浄化させるために鍛錬する方法として必要なものであり、 精神統一するために、それが必要なのです。(1988・10・ 3)
祈祷するのは、本来の良心基準を取り戻すためです。本来の良心基準さえ取り戻せば、 神様に尋ねてみることもありません。すべて通じるというのです。 自分が行く道は、はっきりと分かるようになっています。それが、 真の愛を中心として一体となった心と体の共鳴体です。( 1994・1・30)
今から皆さんは、祈祷を生活化するのです。生活的に祈祷しようというのです。24時間なら24時間、 すべて祈祷です。御飯を食べながらも祈祷であり、
どこかを歩いていきながらも祈祷であり、寝ても覚めても祈祷であり、すべてが祈祷です。(1987・1・ 18)
常に祈祷し、反省し、決心する生活を繰り返さなければなりません。 先生に叱責されても祈祷しなければならず、 たとえ夫にたたかれたとしても感謝の祈祷をしなければなりません 。常に祈祷する生活をしなければ、 み旨の道を行くことはできません。皆さんは、生活するにおいて、 お金のことを考えずに、 先にみ旨のことを考えなければならないのです。ですから、 祈祷するのです。祈祷は、心情の補給倉庫です。時間がなければ、 仕事をしながらでも祈祷はできるのです。(1969・11・ 26)) - 1970年1月1日
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◇堕落した人間にとっては、
神がいるかいないかということさえわからない( 本当の意味において)。 神は実にいます。その神たるは我々のすべてに代えても否定できない真なる父母の立 場に立っている。 こういう認識をいかに体験し得るかということが、 何よりも重大な問題である。」
(1969.4.20)
◇十字架の後にも感謝の念が残っていなければ
「神の心情の境」
1967年6月12日 東京教会
悲しいこと、苦しいこと、たまい切れないつらい立場にたっても、我々がいつも思わなければならない中心問題は神の心情である。 神の心情界においては喜びはまだまだであって、 悩みの心情を抱いている。その痛みの心を、いかに慰めるか、 これは我々統一信者たしての重大な責任である。
だから闘って勝利を得たという立場に立てば、神に感謝しなければならない。
今日の勝利は我々によるものじゃない。一から百まで千まで、全てが神による勝利の決定的動機からでた勝利である。
故にそれを知った人達は涙ぐましいところを通過しながらも、感謝の念を持たなければならない。 それでイエス様は十字架の路程を通過しながらも感謝の念をもった のです。十字架の後にも感謝の念が残っていなければ、 復活できないというのです。
だから我々は闘ってもまだ闘わなければならず、闘ってまだ感謝をもって世界に向かって闘いの進路を続けなければ ならない。こういう立場に立っているのが復帰の過程である。 皆様はこの点を忘れてはいけません。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
□「絶対に天を裏切ってはならない!」これが統一精神である。
天一国2年天歴4月26日
今日のみ言葉
◇私たちの本郷は、神様のために存在する者たちだけが入る所であり、「ため」 に生まれ、「ため」に生き、「ため」 に死んでいった人々が入る所です。これが、 私たちの本郷の理想的構造であるがゆえに、 神様は本郷に訪ねるようにするために歴史過程に数多くの宗教を立 てて訓練させてきたのです。宗教が柔和謙遜にし、 犠牲にならなければならないと教える理由は、 霊界の法度がそうであるがゆえに、 宗教が霊界に帰らなければならない人間たちを地上生活の過程でそ の霊界にふさわしくなるように訓練せざるを得なかったのです。 それゆえに、 高次的な宗教であるほどより次元の高い犠牲を強調し、 奉仕を強調したのです。それは、 普段の生活を通してその世界に一致させようというところに、 その原因があるのです。
父母というものは、いくら子女に与えても、また別の何かを準備し与えようとするのです。 与えたい心が連結されるそのような基盤には、発展があるのです。
「ため」に生きる人になりなさい。これが、天宙生成、形成の根本なのです。神様も「ため」に存在するのです。「ため」 に生きる、より「ため」に生きる、 より犠牲になる人が中心者になるのです。
天国に行こうとする人は悲惨に生きろ、悲惨に死ね、悲惨に逝けというのです。その言葉が良い言葉ですか、 悪い言葉ですか。良いというのです。それなら、 死ぬほど出ていって伝道しろという言葉も良い言葉です。 他人のために命を捨てろというのです。自分のためにではなく、 他の人のために、世界のために、天下のために命を捨てれば、 大宇宙の主人として立ててくれるのです。
統一教会に来るようになれば、「地上で良い生活をしなさい」とは言いません。この上なく貧しく、 この上なく苦労して死んで道端に倒れ、 犬もかみつかない死骸を残したとしても、 その場には花が咲く日が来ることでしょう。そこには、 すべての神聖な人々が集まって都をつくることでしょう。 統一教会の群れを国のために、 世界のためにうんざりするほど苦労をさせて、孝子、 忠臣にしてみようというのが先生の考えです。「行かない」 と言うならば、足でけ飛ばしてでも現在の悲惨さを、 現在の難しさを克服させるのが愛です。 永遠に残るものがあるならば、それは公的な苦労です。 - 1970年1月1日
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- 1970年1月1日
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おはようございます。
今日はなにをしますか?
健康を守り元気になって行きましょう。
天一国2年天歴4月24日
今日のみ言葉
■真のご父母様に作った借りを返す道
天一国2年の春を迎えました。 始まりが重要です。聖和二周年をまえに色々な準備をするべきですが、 重要なことはそういう節目ごとに天の前に勝利の結実を奉献して差 し上げることです。 そうしてこそ真のご父母様に作った借りを返すことができます。
皆さんは全力投球すると言いますが、どの程度実践していますか? 任地をまともに守らないならば決して全力投球しているとは言えません。 位置を離れれば、 主人がいなくなるのにどうして教会食口が増えますか! 年頭標語 「創造主、天の父母様に似た 真の愛を実践する天一国の真の主人になろう!」を毎日朝夕、 暗唱してこれを実践する生活を送らなければなりません。
どのようにすれば、天の父母様が望んでおられる一つの世界を自分の当代にお返しする ことができますか?涙を流しながら地団駄を踏んでいます。 朝鮮時代に代表的な母親が二人います。すなわち、李栗谷(イ・ ユルゴク)の母・申師任堂(シン・サイムダン)と韓石峰( ハン・ソッポン)の母です。当代の名筆、韓石峰は、 紙を買うお金がなくて瓶に筆で水をつけて字を書く訓練をしたそう です. 皆さんの中誰も、 環境が備わっていないと文句を言うことはできません。 皆さんの家庭の母親は未来を開拓する必要があります。
教会の発展と伝道を通じた食口化に総力を尽くす必要があります。開拓者精神がなければ、歴史に残ることができません。 私は何度も強調しますが、皆さんが祖先の位置で、 名門の家柄を起こすことができる瞬間は、まさにこの時だけです。 私がいる、この瞬間だけです。
大陸会長は教会発展と伝道を通した食口化に総力を挙げてください。 今回私が新しく任命する特命総使は天宙平和連合、 世界平和女性連合などの世界的な基盤をもとに、 それぞれの国のVIPをみ旨の前に立てなければなりません。 キリスト教の歴史を見れば最高決定権者一人によって国家復帰が成 功した例を見出すことができます。 この時代に私たちができないと言うことができません。 できないならばそれは皆さんが不足であるからです。 不足しているならば努力しなければなりません。 それでこそ発展します。 希望を持ってください。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
□より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である
天一国2年天歴4月23日
今日の訓読のみ言
霊界協助と私たち
『真の父母様天宙勝利祝賀宣布』
皆さんは霊界を動員して活動することのできる能力を持った人にならなければなりません。さて、 ところが一つ困難なことがあるのです。霊的にそうなれば、 皆さんがコントロールしづらいことが生じます。 そのようなときは、 神様の代わりに現れるのだという心を持たなければなりません。
今まで皆さんは一人だけで動きましたが、これからは霊界をどのように活用するかという問題が極めて重要な 問題なのです。
先生が監獄にいるときは、霊界から教えてくれて、突然別の監房にいる人々が食べるものを持ってきてくれました。 そのようなことが起ったのです。その人々は、 どこなのか知らずに、ひたすら足で歩いてくるのです。そして、 彼らの足が私のところへ来て止まります。 そのように召集を受けた人々は先生に従うでしょうか。 従わないでしょうか。(従います)。 先生はそのような境地に入ったのです。 皆さんはそのような境地からどれほど遠いでしょうか。聖物、 聖体、誠心、誠意をもっていかなければならないのです。 いつでも。分かりましたか。 そのような生活を中心として生きようと、 すべてを天のものとして吸収し、 消化することのできる環境を持って初めて霊界が協助してくれるの です。
避難する途中で空腹になったとき、ご馳走を用意し、鶏をつぶし、食べ物をたくさん準備して、 朝に白い服を着て迎え入れる人がたくさんありませいた。 このようなことがいくらでもあるのです。そして、 駅に行けば切符を買って待っていては見送ってくれるのです。 皆さん、これが信じられますか。 このような話をすると気が狂いそうになるので、 これ以は話しません。
そのような何かがあるがゆえに、今このようなことをしているということを知らなければなりません 。草創期に、お金がなくて困っていると、 天から命令が下されます。 ある店に一人の女性が来て宝物を売ったとすれば、 その宝物を売ったお金を何銭何文まですべて先生のところに持って いかせるというようなことがあるのです。一文残らず・・・。 単なる話ではなく事実なのです。事実だと信じますか。
ですから、霊界が近いということを知らなければなりません。
私たちの精誠が足りないために神様のみ旨が成されないのです。皆さんの考えの風呂敷き包みをすべて取り出してください。 そうしてこそ神様も分かるし、 どこへ行っても優柔不断にはならず、 どこかへ行って反対されても堂々とできるのです。 お金が一銭もなくても、冒険をして、 いつかは仕事ができる道をつくるのです。 仕事を成功させられるときには、 行けば行くほどひたすらに行きたいものなのです。
























