- 1970年1月1日
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おはようございます。
□神を迎え入れて涙しなさい。自分のためには、絶対に涙を流すな。
天一国2年天歴4月22日
今日の訓読のみ言
◇アベルの使命
アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、 そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。 それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません 。
アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。 言い換えれば、 失ってしまった横的な三人の息子を探していく責任を背負った人が アベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、 サタンがいるはずです。分かりますか。
アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、 堕落しなかった天使世界、 つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。
では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、 アベルも父母を探すために協助しなければなりません。 つまりアベルの立場は、 神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだという ことです。このような使命がアベルにはあるのです。
その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。 その次にアベルのすることは何かというと、 父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・ エバを再創造することの、 中心的役割を果たさなければなりません。 これがアベルの立場です。さらに、 神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。 そうすればアダム・エバが再創造されることによって、 神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。 アベルはそのような道を整えていかなければなりません。
アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、 父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。 これがアベルの使命なのです。父母の前に、 サタンの讒訴を許す立場に立っては、 アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。
アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。 アベルは父母を復帰するためにも、 中心的な責任を果たさなければなりません。 これがアベルの立場です。
また、アダム・エバは堕落することによって、実体を失ってしまいました。その次に、 心情を失ってしまいました。 この代わりに復帰の中間的な責任を持たなければなりません。
言い換えれば、アダム・エバは堕落することによって、神側とサタン側の中間の立場に立つようになりました。それゆえ、 こちらにもあちらにも動く立場に立っているのです。 彼らが人間を神側へのみ立つようにすることができるでしょうか? これはアダム・エバがやることではありません。 アベルがやらなければなりません。そのためにアベルは、 父母の実体と心情を復帰することにおいて、 残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
□「私の力でやれることはすべてなしました」という基準を立てるのが一番重要である。
天一国2年天歴4月21日
今日のみ言葉
◇皆さんは霊界を動員して活動することのできる能力を持った人にな らなければなりません。さて、 ところが一つ困難なことがあるのです。霊的にそうなれば、 皆さんがコントロールしづらいことが生じます。 そのようなときは、 神様の代わりに現れるのだという心を持たなければなりません。
今まで皆さんは一人だけで動きましたが、これからは霊界をどのように活用するかという問題が極めて重要な 問題なのです。
先生が監獄にいるときは、霊界から教えてくれて、突然別の監房にいる人々が食べるものを持ってきてくれました。 そのようなことが起ったのです。その人々は、 どこなのか知らずに、ひたすら足で歩いてくるのです。そして、 彼らの足が私のところへ来て止まります。 そのように召集を受けた人々は先生に従うでしょうか。 従わないでしょうか。(従います)。 先生はそのような境地に入ったのです。 皆さんはそのような境地からどれほど遠いでしょうか。聖物、 聖体、誠心、誠意をもっていかなければならないのです。 いつでも。分かりましたか。 そのような生活を中心として生きようと、 すべてを天のものとして吸収し、 消化することのできる環境を持って初めて霊界が協助してくれるの です。
避難する途中で空腹になったとき、ご馳走を用意し、鶏をつぶし、食べ物をたくさん準備して、 朝に白い服を着て迎え入れる人がたくさんありませいた。 このようなことがいくらでもあるのです。そして、 駅に行けば切符を買って待っていては見送ってくれるのです。 皆さん、これが信じられますか。 このような話をすると気が狂いそうになるので、 これ以は話しません。
そのような何かがあるがゆえに、今このようなことをしているということを知らなければなりません 。草創期に、お金がなくて困っていると、 天から命令が下されます。 ある店に一人の女性が来て宝物を売ったとすれば、 その宝物を売ったお金を何銭何文まですべて先生のところに持って いかせるというようなことがあるのです。一文残らず・・・。 単なる話ではなく事実なのです。事実だと信じますか。ですから、 霊界が近いということを知らなければなりません。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
□百人の人が自分を中心として思うなら公的な思いが百以上なければ ならない。
天一国2年天歴4月20日
今日のみ言葉
◇自己主管完成しなさい。堕落人間において、サタンを中心として、体が主体となって引かれた自分の人生を、 神様を中心として心が主体となり、 体を主管していく生活を意味します。すなわち、 第一祝福の完成を意味します。被造世界において、人間は第一に、 被造世界の主管主であり、第二に、被造世界の媒介体であり、 和動の中心体であり、第三に、天宙を総合した実体相です。
それゆえ、自己主管完成(個性完成)とは、すなわち、宇宙主管完成と直結します。
自分を主管する前に、宇宙主管はできません。自分を主管してからこそ、宇宙主管ができます。 自分を主管してこそ、神様を呼ぶことができ、 神様の主管圏を願うことができるのが原理観です。アダムは、 自分を主管できなかったために、堕落したのです。(131― 322)
先生がこの道を出発する前には「宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ」 という標語を座右の銘にしました。自己主管とは、 易しいものではありません。瞬間の誤りを回復するために、 百倍の努力と苦痛を我慢して耐えなければなりませんでした。( 216―15)
修養をするとき、先生の標語は「宇宙主管を願う前に自己主管完成しよう」というものでした。 ある骨の折れる訓練も皆受けました。自己を克服し、 自己を主管してこそ、完成の位置に進むことができるのです。( 204―23)
先生は皆さんに、宇宙主管を願う前に自己主管完成せよといつも言ってきました。 この自己主管を完成させるのにおいて、最も大きい障害要因は、 習慣化された堕落性です。堕落性を脱がずしては、 自己主管を完成することができないためです。
宇宙主管を願う前に自己主管完成せよという言葉は、容易いですが、先生もそれをなすまで、 どれほど身悶えしたか分かりません。 (86―20) - 1970年1月1日
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おはようございます。
◇常に誰もいない最も困難な所で神と出会うことを期待しなさい。
天一国2年天歴4月19日
今日のみ言葉
◇自己主管完成しなさい。堕落人間において、サタンを中心として、体が主体となって引かれた自分の人生を、 神様を中心として心が主体となり、 体を主管していく生活を意味します。すなわち、 第一祝福の完成を意味します。被造世界において、人間は第一に、 被造世界の主管主であり、第二に、被造世界の媒介体であり、 和動の中心体であり、第三に、天宙を総合した実体相です。
それゆえ、自己主管完成(個性完成)とは、すなわち、宇宙主管完成と直結します。
自分を主管する前に、宇宙主管はできません。自分を主管してからこそ、宇宙主管ができます。 自分を主管してこそ、神様を呼ぶことができ、 神様の主管圏を願うことができるのが原理観です。アダムは、 自分を主管できなかったために、堕落したのです。(131― 322)
先生がこの道を出発する前には「宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ」 という標語を座右の銘にしました。自己主管とは、 易しいものではありません。瞬間の誤りを回復するために、 百倍の努力と苦痛を我慢して耐えなければなりませんでした。( 216―15)
修養をするとき、先生の標語は「宇宙主管を願う前に自己主管完成しよう」というものでした。 ある骨の折れる訓練も皆受けました。自己を克服し、 自己を主管してこそ、完成の位置に進むことができるのです。( 204―23)
先生は皆さんに、宇宙主管を願う前に自己主管完成せよといつも言ってきました。 この自己主管を完成させるのにおいて、最も大きい障害要因は、 習慣化された堕落性です。堕落性を脱がずしては、 自己主管を完成することができないためです。 宇宙主管を願う前に自己主管完成せよという言葉は、 容易いですが、先生もそれをなすまで、 どれほど身悶えしたか分かりません。 (86―20)
先生が修養しながら、いちばん難しかったのは、火のような性格を克服することでした。それで、 いちばんの標語が「宇宙主管を願う前に自己主管せよ」 というものでした。 宇宙主管を願う前に自己主管するということが、 どれほど恐ろしいかという事実を知るべきです。 ここにサタン世界の根拠地があり、 しこりが残っているという事実を知るべきです。 悪が皆さんの前にあるのではありません。国が悪く、 世界が悪いのではありません。皆さんの心にあります。心に。 心にあるというのです。(131―323) - 1970年1月1日
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おはようございます。
□より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である。
天一国2年天歴4月18日
今日のみ言葉
◇み意に立って、天の使命を受けて、もしも打たれて手が片輪になれば、これは幸福の象徴だ。
自分の体に忘れざる傷を残すのは、永遠の光の世界に於きましては、光のもとである。 讃美のもとである。先生はそういうことを考えている。だから、 あるいは牢屋に引き込まれて、打たれて、 血を吐く立場におきましても、それを見て、ほい、 いよいよ時が来よる。これをやり過ごしたら歴史を失ってしまう。 善なる先祖達の功績がとんでしまう。民族的基盤が崩れてしまう。 だからそういう緊張した立場に立っても、 その環境はどうでも良い。
それが問題じゃない。自分自身に対して緊張せざるを得ない。そして、神の法に徹して行こう。そういう信念をもって、 歴史上の人物以上の立場をもって行くならば、 その後は勝利が決定する。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
□我々指導者は、神のために気が狂ったと言える伝統を立てなければならない。
天一国2年天暦4月17日
今日の訓読のみ言
◇霊的な能力に期待しては絶対に駄目
祝福式の時のことです。祝福式を前にした新郎新婦に、私は必ず純潔であるかと尋ねます。 その日も新郎の候補者に尋ねました。「本当か?」 と聞いてみると、彼が大きな声で「はい!」と答えました。 そこで再び尋ねました。「本当か?」。彼はまた「はい!」 と言いました。私が三回目に尋ねた時も同じ返事でした。 私は彼を真っすぐに睨(にら)みつけて、 恐ろしい声で問い詰めました。「おまえ、 江原道の華川で軍隊生活をしただろう?」 新郎の候補者がすっかり怯(おび)えた声で「はい」 と言いました。
「その時、休暇をもらってソウルに来る途中、旅館に入っただろう?その日、 赤いチマを着た若い女と一線を越えたじゃないか。 はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」 私は怒って彼を追い出しました。心の眼を開けていれば、 何を隠していても全部分かるようになっています。
神のみ言よりも神通力に惹(ひ)かれて教会に来る人もいました。彼らは霊的な能力に最高の価値があると思ってすがりつきます。 しかし、一般に奇跡といわれるものは世の人々を惑わすのです。 奇跡にすがりつくのは正しい信仰とはいえません。人間の罪は、 必ず贖罪を通して復帰 (罪のない元の状態に戻ること) しなければならないのです。 霊的な能力に期待しては絶対に駄目です。教会が定着してくると、 私はそれ以上、 心の眼で見たことを信徒に話さないようにしました。
真心を込めて話を聞きました
信徒の数は次第に増えましたが、数十人だろうと数百人だろうと、私は一人だと思って向き合いました。どんなお婆さんでも、 どんな青年でも、その人一人だけを相手とするように、 精いっぱいの真心を込めて話を聞きました 私は本当に人の話を聞くのが好きです。 誰であろうと自分の話をし始めると、 時の経つのも忘れて聞くようになります。
10時間、20時間と拒(こば)まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、 自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。 そうであるならば、 私たちは真心を込めて聞かなければなりません。 それがその人の生命を愛する道であるし、 私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、 敬い仰ぐことが一番大切です。 嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、 私の真実の心の内も真摯(しんし)に話してあげました。そして、 涙を流して祈りました。涙を流して夜通し祈ったので、 板の間が乾く日がありませんでした。 板の間は私の血と汗と涙でいつも濡れていました。
伝統を尊重することを知らない民族は
青披洞教会は私個人の歴史を刻んだ場所でもありますが、私たちの教会の歴史をそのまま証言する場所でもあります。 いくら立派に造り直しても、 歴史が消えてしまえば何の使い道があるでしょうか。 重要なのは端正(たんせい)な姿形ではありません。 その中に宿った意味です。不足であれば不足なりに、 そこに伝統があり、光があり、価値があるのです。
伝統を尊重することを知らない民族は滅びてしまいます。
青披洞教会の柱には、「いつ、どういうことのために、その柱をつかんで涙を流したのか」 という歴史がそのまま刻まれています。 つかんで涙を流した柱を見れば、込み上げてくるものがあるし、 曲がった扉を見ても、当時の思いが蘇ります。ところで、 今はもう昔の板の間が全部なくなりました。夜通し俯(うつむ) して祈り、血涙を流した板の間がなくなったので、 その涙の跡もまたなくなってしまいました。 私に必要なのはそのような痛みの追憶(ついおく)です。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
一日があなたにとって最高な日になりますように
□祭物は平和的な立場において捧げるのではなく、常に第一線において捧げるのが原則である。
天一国2年天歴4月16日
今日の訓読のみ言
◇先生は一週間以上泣き続けて、目が熟し過ぎたカボチャの中身みたいに、ぐちゃぐちゃになった。 だから太陽の光を見ることが出来なくなって、 目をつぶって過ごした。そういうふうにして、 原理は先生が開拓した。 人間の奥深いところの人生の価値を願いつつ、迷いつつ、苦労、 苦労の結果、こういう道を開拓した
韓国で一番高い山は白頭山という山だよ。その山の頂上に天池という池がある。 この池がどのくらい広いかというと、周囲が16キロもある。 そして水がいっぱい溜(た)まっている。 そこから流れ始めたのが一つは図們江になるよ。 一つは鴨緑江になる。韓国の大河の二つになっている。
先生が追いに追われて、一番高い山である白頭山の天池のほとりに行って、 山に畑を作って門徒を養った。土なしの丹石の上に畑を作って、 そこに桃を植えて育てる、 そういうようなつらい立場のつらい運命に立ったとき、 自分は先生を離れずして忠誠を尽くすと誓った女の人がいたよ。 それを誓うだけの信ずべき内容と決心を持った女の人だよ。 あるとき、船に乗っていて風が吹き寄せ、 いよいよ船は破船状態になって、船頭さんも「 これじゃおしまいだ、決心しなさい」 と最後の言葉を言う段階に入った。そうすると、間際になって、 自分の生命を思い出してしまった。 そうしてある大きな船が通りかかったので、その船に救いを願い、 その船によって救われて行った。 先生は一人で破れかけの船を命懸けで守らなければならなかった。 そういうふうに別れてしまったある女の人だね。まあ、 それを思うとね。君達の決心というのは、 これは生易しいものである。それ以上の決心をするか?その女は、 それ以上の他の決心もみんな流れてしまった。 そういう事実をこの目でよく見、この耳でよく聞いたよ。
数多くの素晴らしい男や女たちが先生の前を通り過ぎて行った。
何年か前に家を出た旦那さんの帰ってくるのを待ち望んでいる奥さんの心情、雨が降れば雨の中にその心情をかきたてられるその姿。 君たちの生活の中にも、 そういう心情の体験が3日に2回か3回以上、 まあ毎日そういう想いを体験するような生活をしなければならない 。ある時は町を歩きながら、神が恋しくてたまらない。 それでぼやっと立って、 そうして一人では自分の体を支えることが出来なくて、 電信柱をかかえて祈る。そういうような時ある? 如何にこの世に恋があり、恋人があっても、こんなことはない。 心情的にいわば飢えた立場で神を慕ったことがあるか。 イエス様を主を慕ったことがあるか。 一切れのパン以上に思い得ない信仰の心であってはならない。
先生は一週間以上泣き続けて、目が熟し過ぎたカボチャの中身みたいに、ぐちゃぐちゃになった。 だから太陽の光を見ることが出来なくなって、 目をつぶって過ごした。そういうふうにして、 原理は先生が開拓した。君達、想像もつかないだろう。 人間の奥深いところの人生の価値を願いつつ、迷いつつ、苦労、 苦労の結果、こういう道を開拓した。 君達霊通してみれば先生の価値は量り知れないことが分かる。 先生に忠孝を尽くせということを神が千万編も命じる。 世界に広がっている全ての霊通者たちは先生の弟子になっているこ と君達分かっている? 何故こういうふうになったんだろうか。 涙の結晶として生まれて来た道、命を懸ける。 千万編も命を懸けることが、 この道を行くことであるというんだね。 先生は一歩も退くことは出来ない - 1970年1月1日
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おはようございます。
ナマステの心で一日を始めましょう。
□蕩減路程は祭物の期間であるため、存在することは存在するが存在意識をもってはならない期間である 。
天一国2年天歴4月15日
今日のみ言葉
ある人に対して心をこめて祈ると、その人の蕩減すべき罪の影響を自分が受けるんだよ。 そうするとその人の罪は蕩滅される。例えて言えば、 天から見て我々は1000の価値があるとする、そして、 相手の人は10の価値しかないとすると、 むこうが100遍打たれなければ蕩減できない所を、 我々が1遍打たれるだけで蕩減できるんだよ。 だから身代わりに蕩減するんだ。伝道もそうなんだよ。 先祖がとても悪いような人を伝道すると、 かえって逆に蕩減を負ってやられてしまう。 そういうことがあるんだよ。だから、 伝道する時はいつも祈って行く。ずっと祈ってみると、 今日伝道に行くその人の蕩減がどうなっているのかわかる。 基準のある人だったら、スーと心が引っぱられていく、 その強度によって、あの人の先祖はいいとか、 両親はどうだとかわかるんだよ。 あなた達もそういう体験しないといけない。体験してみると、 悪霊、サタンをすぐ分別することができる。
ピーンと情でわかるんだよ。そういう体験を長い間積んでいくと、とても敏感になって、顔をみつめただけで、 あの人は良心的だとか、 どういう人だとか見分けがつくようになる。
蕩減の法則は宇宙を左右するんだよ。だから、誰もが善なる先祖を持つ事を願う。善なる友達を願う。 善なる友達を持っていると、 その友達によって自分が蕩滅されるよ。善なる先生を願う。 その先生に心情一体となれば、自然に自分も引き上げられる。 社会の関係も全てそういう風になっているだろう。もしも、 自分の娘や親戚の娘が有名な人のところへお嫁に行ったとすると、 それを通して自分もその人と関係を持つ事ができる。 自分が良い基準を持ちたいと思うのは我々の生活圏内における当然 の事である。しかし、我々には蕩減の路程が残っている。 個人的な使命を持つ場合もあるし、あるいは・国全体を救う為に、 ある氏族が蕩減をする場合もあり、世界の国家を救う為に、 何の罪もないのに、良心的なのに、非常にみじめな立場に立って、 長い苦しみの中におかれる国もある。 そういう国は世界の為に蕩減する。 - 2014年5月12日
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おはようございます。
み言葉を中心にして何かを実践できるようにしましょう。
□服従するのは主体と一つになって主体の栄光に参与するためである 。
天一国2年天歴4月14日
今日のみ言葉
◇今、先生があなたたちに一番心配するのは、宗教という観念が薄らいでいくことです。それは恐ろしい。
いつも正式な教会儀式が必要である。分かりました?外的な活動だけに力を注いではいけば宗教観念が薄らいでいく。 それは大変なことである。そうなれば、 霊界の援助圏が完全に切られるというんだね。 霊界が我々と関係なくなってしまう。だから、 いつでも霊界を引っ掛けて、人間が集まらなければなりません。 それは創造の原理なんだね。 霊界と地上界は親子関係になっている。 それをはっきりしておかなければなりません。
先生自体もそうだよ。こういう生活をしていても、必ず静かな所へ行って整備しておく。 そういうふうにして二十四時間いつでも、 本心のコースに自分なりに帰ることのできるような訓練が必要だと いうんだね。釣りをしていても、大きな魚を獲った場合には、「 君偉いよ。魚の歴史のうちで、先生に釣られた最初の魚だろう」 と、天的に捧げられた第一の捧げ物として捧げる。 そういうふうに考えて、式をやるんだよ。先生が山で、 猪を獲った時なども、ちゃんと条件を立たせておる。 それは宗教生活の本質である。今はサタンと闘っている時だよ。 一線に立って闘った環境に触れた場合には、 みんな心情的原因を正して、整備しておかなければなりません。 それはいつでも必要だ。
先生だにそうやっているのに、あなたたちは毎日、それを考えなくてはいけないよ。 そうでないと、習慣性がついてしまったら大変なことになる。「 宗教なんかもう入りたくない。あの団体なんかもう入りたくない」 と、皆さんは人々から言わないようにしなさい。自分一人で、 ちゃんと祈る時間を設けて、整備して、元に
返す訓練が必要だよ。分かりました?
だから、堕落観念をいつももたなければなりません。分かりました? それをもたないと、とんでもないことになる。それが失われて、 習慣性になると、恐ろしいことになる。 神も霊界も関係をもつことができなくなる。 我々は心情世界とは何ら関係ないことになります。分かりました? - 2014年5月11日
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おはようございます。いい一日になりますように。
□神は人間が願いもせず、思いもしないことに対しては干渉なさらない。
天一国2年天歴4月13日
今日の訓読のみ言
「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というのが私の生活哲学です。
宇宙主管を願う前に、世の中のあらゆるものと関係をもつ前に、自己主管を完成しなさいと言いました。
問題は自分自身にあるのであって、社会にあるのではありません。自分の家に問題があれば、兄が悪く、姉が悪く、 父が悪いからではなく、自分が悪いからです。 自分から正しく立て直し、それからほかの人が悪いという第二、 第三の批判基準を立てるのです。(201-353)
世界を占領するよりも、自分自身に与えられた環境を占領するほうがもっと難しいことを、 皆さんは知らなければなりません。 国を背負って私に反対するサタンや、 社会を足場として反対するそのサタンが恐ろしいのではなく、 その悪が恐ろしいのではありません。 私の本心を取り巻く善の前に、直接的にぶつかっている「私」 という存在が、 どれほど恐ろしいものかを知らなければなりません。したがって、 この「私」をどのように克服するかという問題が、 信仰者においては最も重要な問題なのです。(42-216)
























