- 1970年1月1日
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おはようございます。
今日もこの時間も歳月號の心配で涙しながら祈る皆さんすべては私 のせいです。心からの叫びと祈りで始めましょう。
必ず私たちの使命、宿命を果たす戦いをして行きましょう。
天一国2年天歴3月20日
今日のみ言
◇「何十年の努力を重ねても、あなたたち夫婦が手をとりあって、過去の先祖たちの愛の道の過ちを後悔しつつ、 深い深い心情圏に携わり、開拓していかなければならない。 涙ながらに天を讃えながら、万民を自分の兄弟、 親族のように思える心情をかかえて、 死しても行かんという思いでもって、生涯を、 愛の家庭を天に捧げものとしていきたいというのが、 今からの祝福家庭の行くべき道である。
先生もそうである。今までずっと家庭を引っ張って、祭物の道、捧げ物の道である。それは個人から家庭を中心として、 家庭を勝利した場合には、氏族の勝利圏を開拓しながら、 そのためには家庭がメチャメチャにやられる。 そうして勝利圏を得んとするならば、自分の家庭、 氏族を中心としてカイン・アベルが一つとなるのである。 それから氏族圏が中心となって、 民族のために行かなければならない。 その道はカインがアベルを殺したように、 死力を尽くしてたたくのである。迫害する。 迫害のないところには、復帰の道の発展がない。蕩減の道である。 蕩減の道は笑いの道ではない。涙と血と汗を流す道である。 砂涙のような荒野で、砂風が吹きすさぶような無情な立場である。 それだけではなく、険しい所へ行けばコンドルが待っている、 生命を狙う者がいるのである。
- 1970年1月1日
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こんばんは。今日も一日ご苦労様でした。
今日は私の準備不足でみ言葉を送れませんでした。
夜おくります。
皆さんがニュースでしてるように韓国の二世の方々をのせた船の事故で世界が心を一つにして祈っています。 このような時私たちがより一つになるときです。
今現在救助179死亡28行方不明268今日も救助活動があんまり進まなかったです。心一つに天の父母様に精誠を………
天一国2年天歴3月19日
今日のみ言
皆さんが地域に出ていくとき、生命をつくられた創造主としての責任、父母としての責任、 主人としての責任、この三つの責任を負わなければなりません。 そうできなければ、絶対者の代身者、真の父母の代身者、 真の主人の代身者に、絶対なることができません。 これさえもできないなら、 存在世界から追放されるしかありません。 責任を負うことができなければ、 絶対服従で侍らなければなりません。ですから皆さんは、 自分に責任を負うことのできる立場に立たなければなりません。 絶対者の代身となり、真の父母の代身となり、 真の主人の代身となって、 責任を負う勝利の勇士とならなければなりません。
天は、そのような存在を待ち続けておられるのです。(一一・一三八)
天の父母様 - 1970年1月1日
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- 1970年1月1日
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おはようございます。
いつも一緒懸命努力して感謝出来る人になる。
◆我々は歴史の運勢を引っ張っていく機関車となろう。
天一国2年天歴3月17日
今日のみ言葉
◆自由に神の愛を感じ、自由に御国とその義の本質である奉仕の心情を持って、 生活をしなければならないのですが、 人々はこのような生活ができないでいるのです。 ですから皆さんは信仰路程において、 混乱と矛盾と闘争の過程を経ながら、 神の愛で奉仕の生活をするために、 身悶えなければならないのです。
それでは、皆さんの怨讐が何でしょうか? 民族の怨讐が誰でしょうか? この世界と天地の怨讐が何でしょうか?
それは他ならぬ見えざる億万のサタンが住み着いているこの宇宙全体が、怨讐なのです。しかしながら皆さんに、 このような怨讐は問題視されません。
問題は皆さん個人です。皆さん個人に潜んでいる怨讐から除去してゆくことが、 至急の問題なのです。万民を救援するために地上に来られた、 イエス様の怨讐が誰だったでしょうか? このお方を絶対的な価値の存在としてではなく、 相対的な価値の存在として見た人々が、 正にイエス様の怨讐でした。それでイエス様は彼らの中に、ご自身の本性と関係を結び「 あなたがたの心でありわたしの心」 とすることのできる一人の存在が、 出てくることを苦待されたのです。 このような一人の存在が現れたなら、 イエス様は十字架に逝かれたとしても、 この方の愛と理念は地上に立ったのですが、 そうはならなかったことがイエス様の辛さであったことを、 皆さんは知らねばなりません。 - 1970年1月1日
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おはようございます。私の中の神聖な方があなたの中の神聖な方の敬意を表しています。
感謝します。
◇道の世界での約束は絶対に守らなければならない。
天一国2年天歴3月16日
今日のみ言葉
◇聖塩は、環境と万物を聖別するために、御聖婚日の1960 年3月16 日(天暦)に作られました。御聖婚式後、真のお父様は参加者に聖塩を分配され、 世界中の会員に広めるように言われました。また、「 どんな物でも聖塩で聖別されるならば、 それは既にサタンの主管下にはなく、 主の主権に属するものとなる」と語られました。
2003 年8 月20 日には、「第4 次イスラエル国出発宣布」の恩恵により天一国の聖塩と聖酒が伝授されました。2006 年6 月13日には、天正宮博物館の奉献に際し、新しい聖塩( 天正王宮聖塩)が伝授されました。聖塩を使うときは、「 天地人真の父母様と真の子女様家庭と天一国主人○○ の名で聖別いたします」と唱え、3 回、十字を切るように聖別する物の上に右手でまきます。
◇家族は氏族基台を造らなければならない。氏族基台を造らなければ、民族圏に参席することができない。 だから、統一世界は家庭を中心として参席するようになっている。 個人ではその資格がない。アダム・ エバは家庭を中心として堕落したので、原理原則から見た場合、 家庭を完全に造らなければ、地上天国建設圏内に入らない。 だから地上天国に堂々として入るには、昔のアダム・ エバより素晴らしい者でなければならない。 それには迫害されても、 自分の環境とか自分ということを考えるのではない。 それを克服して勝利しなさい。あなたたちは、 アダムより素晴らしい男の立場、 エバより素晴らしい女性の立場に立って結婚するのである。 それには堕落した自分を貴重に思わないことである。
皆さん、家庭とは一体何であろうか。家庭とは神を迎え入れることができる所である。アダム・ エバが堕落したので、神に侍ることができなかったけれども、 家庭は神に侍り得る中心的土台である。次に、 縦的な面において天使世界との関係を結ぶことができなくなったの を、横的な面において実体生活的な基盤の上で、 霊界との直接的な関係を結ぶことのできる復帰された場となるので ある。次は万物復帰の基盤を整える場に立つのであり、 さらには神の子女、 言いかえればアダム完成の位置を代表できる場に立つのである。 次は神を中心として実体的な父母の基準を通して、 神の霊肉完成圏、 統一心情圏を帰結することができる責任を果たすための所である。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
今日の一日が素晴らしい一日に慣れますようにしましょう。
□名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。
天一国2年天歴3月15日
今日のみ言葉
□家庭天国をなす、というみ旨ですが、天国とはどのようなものでしょうか? 通り過ぎていく乞食もこの家に入って休みたいと思うし、 犬もその家の前でおしっこをしたいと思うし、 鳥もその家の門に巣を作りたいと思うし、 村中の人々もその家に行きたいと思うようにならなければなりませ ん。そうならなければ、 神が共に住むことができないのであります。 神の愛が注がれている所ですから、 すべて生命あるものの平和の安息所になるので、 その家に行きたいと思うのです。 祝福家庭はそのようにならなければなりません。 お客様が家に来た時、 生活が苦しいから一日も早く帰ってほしいなどと思ってはいけませ んよ。
先生の家にも代々伝わる一つの家訓があります。それは通り過ぎていくお客様をよく接待してあげることです。 私の祖父の時代にも寒い冬の日に乞食が来て、3回以上「 何かを恵んでください」 と物乞いする声が聞こえると大変なことになります。直ちに、 御自分が召し上がっていたお膳を持って行って全部与えてしまうの です。そして、祖父と祖母の喧嘩が始まるのです。分かりますか。 もし、あなたたちが乞食になったと思ったらどうでしょう。 冬の寒い日に、 他人の家の前に行って物を乞うことが簡単なことでしょうか。 その時には食べさせてあげなさい、というのです。 命を懸けているので、神の前に、天道を行く人間が、 その人は命を懸けてやっているので分かってあげなければなりませ ん。それで、御飯をたくさん食べさせるのです。 祖父は妻が大切であるというよりは、 乞食が大切であると思うのです。子孫万代を考える時、 乞食がもっと大切なのです。 そのような思考方式をもたなければなりません。 私の父もそうでした。絶対に三回以上物乞いをさせませんでした。 父もお膳をそのまま持って行って与えるのです。
- 1970年1月1日
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アンニンハセヨ。
おはようございます。
いい朝ですね。
今日の一日よろしくお願いします。
◆善なる人は食べ物に対しても、まず天、次に地、その次に人類を考えてから食べる。
天一国2年天歴3月14日
今日のみ言葉
『献金』
◆神様から数えきれない恵みを与えられていることに対して、真心から神様への感謝を表すのが献金です。それゆえ、 感謝を伴わない献金は、真の献金ということはできないでしょう。 献金のことを「捧げもの」と言うことがあります。 お金だけが捧げるものではなく、捧げる者の心に、 私自身をも捧げるという精神をもちましょう。それゆえ献金とは、 神様に対する信頼、心服、献身の表明といえます。
神様の復帰摂理の第一次目的は、現実世界における「地上天国」を復帰することです。献金は、神の救いの摂理、すなわち「 地上天国」実現という神様の働き(み旨)への積極的な協力です。
◆父よ、今我々統一教会の、神の為に備え神の為に死ぬ境地を耐えて行くその可憐な群たちを貴 方は必強としていらっしゃることを知りました。
そういう道を行かなければ神御自身におきましても、また、ノアにかなった位置に立つことが出来ないことを知らされました。 あなたはかつての神の最高の願いを適えんが為にイエス様を、 この地に送られましたけれども、 イスラエル民族がその使命を全うしないで、十字架に追いやり、 罪のなかに、今までの歴史は、 その悲しみの歴史として延長して来た過去の先祖達の罪を許して下 さい。若し日本において過去に、 許す事の出来ない罪がありましたら、 この日本の統一教会の家族達の涙と汗と血の苦労を、 よみして許して下さい。
- 1970年1月1日
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アンニンハセヨ。
素晴らしい一日を皆様に。
「絶対感謝で!・絶対精誠で!・絶対一体化で!」共に… ♪
なにかを始めたら雨乞い祭り精神で……
◆名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。
天一国2年天歴3月13日
今日のみ言葉
『礼拝』
◆礼拝とは「神様をあがめ、神様の恩寵に感謝して神様に仕え、奉仕する」という意味です。 自らを神様の喜ばれる聖なる供え物として、人間の立場から100 パーセント完全に捧げた時間をもつこと、 すなわち礼拝を守ることは信仰生活の上で極めて重要です。
神霊と真理による礼拝を通して公式的に神様と出会い、神様に対する確信と神様を心情的に愛する因縁を深めることができ 、信仰生活の基礎を築くことができます。「礼拝」 は信仰を正しく育成する場ですから、毎週守ることが理想です。
礼拝は神様が人間と一体となって、共同でサタン分立をなさろうとする貴重な時間です。礼拝を守り、 神様が与えようとなされる恵みを授かりましょう。
◆「伝道に行って、一年もたたないうちに、何日もたたないうちに、『ああ、お腹がすいてたまらない、 寒くてたまらない』。それが問題でない。お母さんが死ぬし、 子供たちが死んでいくのに寒いと言っていられるか。 そのような心情を持たなければならない。 国と世界のために生命の火花を散らすこの瞬間に、 血と涙の出る歴史的な恨みをはらすこのチャンスをのがしてはなら ない。御飯が問題ではない。 それができなければ時を失うのである。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
天の父母様今日も元気よく起きて動くことが出来ます。感謝です。
ラマステ
◆率直に語り、真実に行動するとき、善は決定される。
天一国2年天歴3月12日
今日のみ言葉
『敬礼式.』
敬礼式は、安侍日(アンシイル)の朝、月の始め(天暦)、名節などに行います。 地域により時間が同じであるか否かにかかわらず、 真の父母様に侍り、同時に行っている心情でなすべきものです。
内容としては神様と真の父母様に侍る生活の一環で、神様に侍る生活は天の父母様の代身であられる真の父母様を通して なされます。敬礼は1 回行います。
敬礼後、「家庭盟誓」を唱和します。その内容は重大なものであり、 神様との約束を表明するものですから、ゆっくりと慎重に唱え、 神様に深い敬意を表しましょう。
自叙伝152
◆ 私は人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、 時の経つのも忘れて聞くようになります。10時間、 20時間と拒まずに聞きます。 話そうとする人の心は緊迫していて、 自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。 そうであるならば、 私たちは真心を込めて聞かなければなりません。 それがその人の生命を愛する道であるし、 私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、 敬い仰ぐことが一番大切です。 嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、 私の真実の心の内も真摯に話してあげました。そして、 涙を流して祈りしました。涙を流して夜通し祈ったので、 板の間が乾く日がありませんでした。 板の間は私の血と汗と涙でいつも濡れていました。
私は生涯を祈りと説教で生きてきました。しかし、今でも人々の前に立つ時は恐ろしさを感じます。 人の前で公的な話をするということは、 数多くの生命を生かしもすれば殺しもすることだからです。 私の言葉を聞く人を生命の道に導かなければならないということは 、本当に重大な問題です。生死の分岐点に立って、 いずれが生の道であり死の道であるかをはっきりと判定し、 心の底から訴えなければならないのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
今日からは信仰生活の基本的内容を伝えますのでよろしくお願いします。
天一国2年天歴3月11日
今日のみ言葉
『祈り』
祈りとは神様と人間との間における心情を基盤とした言葉の交流、 すなわち親子の対話です。 人間は祈りによって神様の心情に直接通じ、 神様の無限の知恵に通じることができるのです。 まさに祈りとは神様との近しく親しい会話であり、 人間がなし得る最高の行為なのです。
祈りの目的は
①サタン分立が最初で、
②神様の心情に接することによって、神様との心情関係を回復し、
③神様の摂理に従って祈ることによって、復帰摂理目的を成就することです。
カインである堕落人間は、アベルであるキリストを仲保としなければ神様につながる道があり ません。祈りはキリストのみ名によって祈り、 キリストとは真の父母のことですから、 1960年以降は真の父母のみ名を通して祈りました。2001 年1 月1 日から、祝福家庭は各自の名前で祈るようになり、また内容も、 悔い改めや反省以上に、実績を捧げて天に喜びを捧げる「 報告祈祷」になりました。2006 年からは結びの言葉が「アーメン」から「アーヂュ(我住)」 になり、「…祝福中心家庭○○○○の名によって(未祝福者は「 天地人真の父母様の名によって」)ご報告いたしま。アーヂュ」 と祈ります。
□「考えてこらん。どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で? それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、 部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、 あるいは十字架上などが、 神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。イエス様も、 そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。 誰もがみんな慕うところではない。誰もいない、 たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、 息子として神に会うことができる急所である。 だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。伝道に出た時、 友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならない というんだね。」(1967・7・6)

























