教会NEWS

1970年1月1日

おはようございます。□我々は絶対者の代わりに、真の父母の代わりに、真の主人の代わりに責任をもち、勝利の勇士とならなければならない。

天一国2年天歴3月10日
今日のみ言葉

□私たちが本当にこのような天宙的な価値を知れば、生きていくにおいて、心を先に立てて、従っていく人生を生きていくべきだということが明確になるでしょう。それで皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも記憶し、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、
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永遠の師である良心の命令に絶対服従して生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されるのです。神様の創造がそのようになっています。
 また、ほかの角度から人間の構造をよく見てみると、神様は、人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界の現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり、主人として立てるために霊人体を創造されました。したがって、人間は、地上界で100年くらい生きて肉身の機能が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長なのです。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷です。
  霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。

 神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的路程にあるのです。
1970年1月1日
おはようございます。
今日新しく一日がスタート出来て嬉しいです。
◆朝の初めの気持ちが一日を決定する。
ゆえに
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朝最初の祭物として神様が喜ばれることを見るように努めなさい。

天一国2年天歴3月9日
今日のみ言葉

◆私は、統一教会を創設しました。もし、この統一教会が統一教会自体の利益と幸福のために存在しているとするならば、それは必ず滅びるでありましょう。私は、世界の救いの前進のために、私の命と、私の心と、私の魂を与えるために統一教会を設立したのです。

 イエスが十字架につけられた時、ローマの兵士たちは、イエスをやりで刺し通しました。そして、そのイエスは、敵のために祈ったのです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)。十字架上における死の瞬間でさえ、イエスは許すことに懸命であったのです。彼の、正に最後のその行為は、彼の敵に対する愛によって誘発されたものでした。彼は、与えることの最高のかたちを見せてくれたのであり、愛の模範を示してくれたのです。イエス・キリストの例は、全人類にとっての絶対的な基準であります。イエスのような人ばかりで構成された国を、ちょっと考えてみてください。そのような国を何と呼んだらよいでしょうか。それが、地上天国であり、それ以外の何ものでもありません。

 イエス・キリストは、その全生涯を通して、その並ぶもののない愛と奉仕と犠牲のゆえに「主」でありました。彼は、永遠に「主」であるでしょう。それと同様に、この宇宙に神の全き奉仕と愛とに勝るものは何もないのです。それゆえに、神は永遠に神であり、すべての被造物を支配されるのであります。

 ローマ帝国の衰亡を見てください。ローマ帝国は、武器をもたない軍隊、すなわち、イエス・キリストの軍隊の前に崩壊してしまったのです。クリスチャンは、いかなる方法でローマを征服してきたのでしょうか。彼らの、自分の命までも捧げるような愛と犠牲と完全な奉仕によってであります。歴史は、いかなる帝国も、犠牲的愛の軍隊には負けてきたことを証明しています。そして、そのような歴史は繰り返されるものでありましょう。


 この現在の世界は、神の怒りを呼び起こしています。本当に世界は今、神の容赦ない審判に値するのですが、神は愛であられるがゆえに、長い間忍耐しておられるのです。我々すべてを救いたいがために、その怒りを止めておられるのです。神は、我々に生まれ変わるチャンスを与えておられるのです。神は待っておられるのです。
1970年1月1日
おはようございます。
4月ももう一週間になります。昨日は寒い中多くの方が参加してくださいましてありがとうございました。

□神の苦しみを避けて自己の安楽を求める者は必要ない。必要
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のない数千人よりも、必要な一人がもっと大切である。

天一国2年天歴3月8日

今日のみ言葉
□霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。
 神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的路程にあるのです。

 ところで、人間の霊人体と肉身の関係について見てみるとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は100年くらい生きて死にますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食べ、裕福に暮らす人も、結局、死ぬのです。したがって、皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を成して暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させるべき責任があるということです。だからといって、霊人体の完成が自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体となった人生の土台の上で、初めて完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

皆様、秋になって、倉庫に入っていくよく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。無精で見識のない主人に出遭った果樹園の果物は、あらゆる疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として分類されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべて同じ果物ではありません。市場に出して売れる完成品にはなれないのです。

 木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。
ラマステ  
1970年1月1日
アンニンハセヨ。

*ラマステ*
私の中の天の父母様があなたの中の天の父母様に尊敬と敬意を表しています。

□個人の使命が、自分で終わってはならない。
神の全体目的と一致しなければならない。

天一国2年天歴3月7日
今日のみ言葉

礼拝と教会生活礼節

□教会が目指すべき目的は、神様の国を求めて建てることです。神様の本来の創造理想は、国を中心として一つの世界をつくることです。そういう創造理想であるがゆえに、教会が目指すべき目的地は、教会を建てることではなく、国を建てることなのです。

今後、教会時代は過ぎ去っていきます。人類が願うのは、教会ではありません教会は堕落圏内で、復帰の運命の道を行く際に必要なのであって、新たな時を迎えれば、教会時代は終わるのです。それゆえ統一教会は、教会活動をするのではありません。教会の名で社会に適応し、社会を改革し、社会の廓清(浄化)運動をするのです。そうすることが、その国と民族、そして世界に住む人類には果たすことのできない、開拓者の使命を成し遂げることになるのです。今こそ皆さんは、この道を行かなければなりません。

 教会が一つから二つに分かれ、そのようにして三回分かれると、神様は去っていきます。天理の原則はそうなっています。そうして家庭的に集まります。恵みのある人は家庭的に集まるのです。教会に行きません。家庭でひれ伏して祈祷します。そのようになるかならないか、見ていてください。

 「全知全能で慈悲と愛に満ちた神様であるゆえ、千回、万回罪を犯しても許してくださる」と、クリスチャンは言っています。そう言って教会で祈祷して出てくるや否や、けんかをするのです。教会は、罪を犯してから悔い改める懺悔堂ではありません。それほど多くの罪を許せる神様であるとするならば、エデンの園で一度犯した罪を、どうして許すことができないのでしょうか。 そうではないですか。また、サタンが許される道があったとするならば、サタンは悔い改めたことでしょう。千回、万回 涙を流して悔い改めたことでしょう。

1970年1月1日


アンニンハセヨ。今日もよろしくお願いします。

◆世界のため蕩減を受ける者は、世界が受ける恵みと自分が受ける恵みを合わせたものを受けるようになる。

天一国2年天歴3月5日
今日のみ言葉

◆レバレンド・ムーンが、自分の将来における困難な使命を避けたいと考えていたならば、とっくにこの仕事から離れていたことでしょう。行けば行くほど、もっと難しくなるこの道を「嫌だ」と言っていたならば、風呂敷を包んでいるというのです。しかし私は常に、“これは出発だ。私はまだ戦い始めてもいない。これから始めなくてはならないのだ”と考えたので
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す。それが私の姿勢でした。何の話か、分かりますか。そのような見解から、あなた方を鍛え、訓練して、世界に出て生き残る人間をつくりたいのです。それを考えたら、今のことは何でもありません。それがあなた方に満たしてほしいと願う基準です。しかし、あなた方が実際していることは、あまりにも先生の願う基準以下です。

もし、今がローマの迫害時代だとしたら、あなた方のうち何人がカタコンベに入れますか。あなた方のうち何人が、それらの環境から生き残るでしょうか。一世紀のクリスチャンでさえ、それらの試練を耐え忍びました。そのようなことを私たちも越えなくてはならないのです。

 あなた方は神様がいることを知っていますね。神様がレバレンド・ムーンを好きだということを知っていますか? (はい) 。それはなぜだと思いますか。それは、レバレンド・ムーンの哲学、生き方、信念が正しいというだけでなく、世界の五色人種を一つにして、彼らを同じ信念、同じ方向、同じ目標に導く能力をもっていると神が見ておられるからです。神は、レバレンド・ムーンは自分自身を繁殖させる能力をもっていると見ているのです

 では、レバレンド・ムーンはどうするのでしょうか。レバレンド・ムーンが死んだのちにも、その息子、娘たち、あなた方は世界に広がっていくのです。最初に生まれたレバレンド・ムーンのような父母を代身することのできるようなあなた方につくり上げること、それが神様の喜び楽しまれることなのです。
1970年1月1日
おはようございます。

□百人の人が自分を中心として思うなら、公的な思いが百以上なければならない。

天一国2年天歴3月5日
今日のみ言葉

□生活するのは目的のためにするのです。その目的を成就したとき、そこには存在、それ自体以上の新しい何かがあるのです。それは何でしょうか。男性なら男性、女性なら女性を中心として見るときに、彼らにとって何よりも貴いものは何でしょうか。愛です。

 皆さんは、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいるでしょうし、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。

 人間は、何のために生きるのでしょうか。愛のために生きるというなら、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の結実として生まれ、愛し合いながら生き、永遠なる愛である神様の懐に帰るようになっているというのが創造本然の生なのです。
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 愛によって生まれ、愛の中で成長し、さらに異なる次元の愛に連結されるのは、父母の愛を離れ、相対の愛を求めていくことなのです。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦でいくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女を願うのです。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が生涯の根本であり、神様の創造的愛の理想の根本となる道です。


 生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長して、愛する妻に出会ってまた愛し合い、その愛の中に死んでいきますが、これが人生なのです。ですから悲しみと苦痛はあり得ないのが本来の人生なのです。
1970年1月1日
おはようございます。
第1次路程の後半であります。私の足元から着実にやりましょう。
□皆さんは死ぬとき、どこで死ぬんですか。どの分野において条件を立てて死ぬつもりですか。

天一国2年3月4日
今日のみ言葉

     皆さんは統一教会に雇われて教会のために働いているのではありません。それどころか、私が苦労して築いた土台の上に、大きな恵みを受けるために歩んでいるのです。私はそう思いますが、どうでしょうか。皆さんは将来、天国に生きるために歩んでいるのです。だから皆さんは、自分自身をその目的のために雇っているようなものです。もし不満があるとしたら、それは自分に対する不満であるべきです。けっして他人のせいにしてはなりません。アダムは堕落した時、それはエバが悪かったからだと、責任を転嫁しました。そのように責任を他に転嫁するような者となってはなりません。不満があるならば、自分を責めるべきです。他に対して不平不満を言う者は、天国への丘を越えることはできません。

  私にしても、もし神様に不平不満を述べるとすればいくらでもあります。「神様、あなたはなぜ私にアメリカへくるようにと命じられたのですか。アメリカでは、歓迎もされないし、生命を狙う者さえもいます。なぜこのようなことをせよと命じられるのですか。あなたらほんとうに私のことを思って下さっているのですか。」等々、いくらでも神様に対して不平を言うことができます。しかし私は、けっして神様に不平を言ったことはありません。だから神様も私に感謝し、受け入れて下さるのです。

  私は神様に対して、「どうかもうしばらく待って下さい。必ず勝利しますから」と頼むだけです。皆さんも神様や私に対して、このような態度を示してほしいのです。わかりますか。皆さんはどちらを取りますか。不平不満の道ですか。(従順です!)では従順によって皆さんは何を得るでしょうか。何よりも、皆さんは人間として完成することができます。完成することがなぜ必要ですか。それは真に、神様の愛を受けることのできる人間となるためです。そうすることによって、万物を真に解放する力が神から与えられるのです。
1970年1月1日
アンニンハセヨ。
ラマステの心で一日を出発出来て嬉しいです。今日もよろしくお願いします。

□個人の使命が、自分で終わってはならない。
神の全体目的と一致しなければならない。

天一国2年天歴3月3日
今日のみ言葉

□「先生は皆さんに負けない。今も戦ってる。・・・・・・一人でも行く。君たちが休んでもいく。援助されなくても行く!」(1973.7.8)

「ある時には、一人なりに神に対して逆らったことがあるんであります。一人の男として生まれて、こういうような天地の秘密の内容を暴露することによって、世界は動揺し、自分の一生がメチャクチャになる。この道以外におさめる道はないのですか、と何回も拒否した立場がある。しかし神は、『君が責任を持たなければ誰かがしなければならない。誰かがしなければならない』と。それで奮起して三十余年の歴史を費やしてまだ果たされていないこの道に、戦いをその合戦を続けていかなければならない、そういう立場に立っている。それがどうして落胆するでありましょう。

『雄々しく、尊く、尊く、目的に向かって、神のために進んでいこう』、その決意は、日が変わろうとも年が変わろうとも頭の毛が白くなろうとも、その心情は、変わりません。」(1975.2.13)

「神は私に、『休暇をとるように』と頼み続けているが、私は『それをもっと後で取らせて下さい』と頼んでいる。」(1981.2.10
1970年1月1日
アンニンハセヨ。
ラマステの心で一日を出発出来て嬉しいです。今日もよろしくお願いします。

□個人の使命が、自分で終わってはならない。
神の全体目的と一致しなければならない。

天一国2年天歴3月3日
今日のみ言葉

□「先生は皆さんに負けない。今も戦ってる。・・・・・・一人でも行く。君たちが休んでもいく。援助されなくても行く!」(1973.7.8)

「ある時には、一人なりに神に対して逆らったことがあるんであります。一人の男として生まれて、こういうような天地の秘密の内容を暴露することによって、世界は動揺し、自分の一生がメチャクチャになる。この道以外におさめる道はないのですか、と何回も拒否した立場がある。しかし神は、『君が責任を持たなければ誰かがしなければならない。誰かがしなければならない』と。それで奮起して三十余年の歴史を費やしてまだ果たされていないこの道に、戦いをその合戦を続けていかなければならない、そういう立場に立っている。それがどうして落胆するでありましょう。

『雄々しく、尊く、尊く、目的に向かって、神のために進んでいこう』、その決意は、日が変わろうとも年が変わろうとも頭の毛が白くなろうとも、その心情は、変わりません。」(1975.2.13)

「神は私に、『休暇をとるように』と頼み続けているが、私は『それをもっと後で取らせて下さい』と頼んでいる。」(1981.2.10
1970年1月1日
おはようございます。

桜が満開しています。寒い冬も春に負け、季節は変わってきます。いい朝ですね。

◇「神の愛が、そう簡単にわからないようになっておる。」「神の事情と心情を自分自身において体験し得る人、これが六千年長い歴史を通して、神が今まで求めてきた本当の子女なのである。」

天一国2年天歴3月2日
今日のみ言葉

◇「考えてこらん。どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で? それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。誰もがみんな慕うところではない。誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(一九六七・七・六)

「常に誰もいない最も困難な所で神と出会うことを期待しなさい。」

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