教会NEWS

1970年1月1日

おはようございます。

今日は最高の日になりますように。


創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

天一国2年天歴1月23日

今日のみ言葉

 誰が主人になるのでしょうか。より「ため」に生きる人です。より「ため」に生きる人が支配し、より「ため」に生きる人が主管し、より「ため」に生きる人に相続がなされるのです。それが天理です。愛には同参権があります。昼でも夜でも、どこでも同参することができるのです。

自分の息子、娘の部屋に許可をもらって入りますか。自分の部屋に許可をもらって入りますか。そうではありません。神様を愛するそのような愛の作用をもったならば、神様がどこに行っても私が同参できるのです。

 真の愛と権勢とは、何が違うのでしょうか。真の愛は、愛して忘れてしまいます。記憶しません。善と悪の基準は何でしょうか。悪は与えて利益を全部もらおうとするもので、善は自分のものを与えても忘れてしまうものです。家においても、より「ため」に生きる人が善なる側です。

「ため」に生きる人は、結局その家の主人になることを知らなければなりません。十人の友達がいるとして、その中で一番いい友達は誰でしょうか。十人の友達のために尽くす友達です。そうすれば十人が、「ため」に生きるその友達を中央に置いて侍るようになるのです。宇宙はそのように相続されていきます。

大母様の御言
   天の父母様と一心・一体・一念になるためには、真実で行いなさい。偽りのない事実のままに行いなさい。食口たちに真実ではなく偽りで接すれば、その時にはどうにかなっても結果的には成されないのです。

そして、愛で行いなさい。犠牲と奉仕で行いなさい。食口がどんな罪を犯して来たとしても、その罪を脱ぐために努力し、どんな困難を持ってきたとしても、その食口のために蕩減条件を立ててあげ、正しく生きられるように関心を持ち、犠牲と奉仕の精神で行いなさい。そして、勤勉にしなさい。絶対に出勤や退勤時間を決めて行うのではなく、昼夜を問わず一生懸命に。
1970年1月1日

     


おはようございます。いい朝ですね。

 何を実践して、何を実現するのが、神様の理想なのでしょうか?

 それは「ために生きる」実践と「互いにために生き合う世界」の実現です。

ために生きるとは、どういうことでしょうか。ために生きるためには相手が必要です。

天国では愛する人がいなければなりません。

天一国2年天歴1月22日
今日のみ言葉

 侍りたいお父様
 今まで私たちは観念的に神様を呼んできました。宗教的な主体としてのみの神様を呼んできました。
しかし、そうではありません。神様は生命の主体であると同時に生活の主体であり、生活の主体であると同時に理念の主体です。

しかし、どんなにその理念の主体が広く、大きいとしても実質的にそれを生活感情で分析し、体験しなければなりません。もし、生活で体験するその理念の価値を、存在している何ものとも替えることができないと自慢することができる場に立った者がいるとするなら、彼は神様が探し求めている人に違いないはずです。
  
 私たちが感謝すべきことがあるならば、それは神様を父と呼ぶことができ、父に侍ることができる因縁を結んでくださることです。これ以上価値あることはありません。

神様は堕落した人間を収拾して最大の価値を賦与したいとされるのですが、それはこの人類に対して親しく息子とし、娘とするということです。こういう心情を抱き、訪ねてこられるということを皆さんは体験しなければなりません。言葉だけではなく、体験しなければならないのです。

私たちはこのように訪ねてこられる神様に、必ず侍るべき運命に置かれています。皆さんがいかなる指導者に仕えているとしても、その指導者は皆さんが永遠に仕える者ではありません。

今日この地上にいかなる理念を主張する代表者がいるとしても、その代表者も永遠に仕える者ではありません。私たちが永遠に仕え、永遠に共に生きなければならない方とは誰でしょうか。それは正に永遠無窮に存在される神様です。皆さんはそういう立場に立たなければなりません。一から千万事に至るまで、神様に侍って生活できるところまで進まなければならないのです。
  
 世の中では、ある主権者の息子、娘であると自慢しています。ある会社の社長の息子、娘であると自慢します。しかし、それは問題ではありません。それは、あとでなくなるのです。本当に自慢できるものがあるとするなら、それは善の理念を通して天地万物を造られた創造主である神様に対して、皆さんが父と呼ぶことができ、その創造主が皆さんに対して息子、娘と呼ぶことができるということです。それ以上の場がどこにありますか。

   
  
1970年1月1日

     


おはようございます。いい朝ですね。

 何を実践して、何を実現するのが、神様の理想なのでしょうか?

 それは「ために生きる」実践と「互いにために生き合う世界」の実現です。

ために生きるとは、どういうことでしょうか。ために生きるためには相手が必要です。

天国では愛する人がいなければなりません。

天一国2年天歴1月22日
今日のみ言葉

 侍りたいお父様
 今まで私たちは観念的に神様を呼んできました。宗教的な主体としてのみの神様を呼んできました。
しかし、そうではありません。神様は生命の主体であると同時に生活の主体であり、生活の主体であると同時に理念の主体です。

しかし、どんなにその理念の主体が広く、大きいとしても実質的にそれを生活感情で分析し、体験しなければなりません。もし、生活で体験するその理念の価値を、存在している何ものとも替えることができないと自慢することができる場に立った者がいるとするなら、彼は神様が探し求めている人に違いないはずです。
  
 私たちが感謝すべきことがあるならば、それは神様を父と呼ぶことができ、父に侍ることができる因縁を結んでくださることです。これ以上価値あることはありません。

神様は堕落した人間を収拾して最大の価値を賦与したいとされるのですが、それはこの人類に対して親しく息子とし、娘とするということです。こういう心情を抱き、訪ねてこられるということを皆さんは体験しなければなりません。言葉だけではなく、体験しなければならないのです。

私たちはこのように訪ねてこられる神様に、必ず侍るべき運命に置かれています。皆さんがいかなる指導者に仕えているとしても、その指導者は皆さんが永遠に仕える者ではありません。

今日この地上にいかなる理念を主張する代表者がいるとしても、その代表者も永遠に仕える者ではありません。私たちが永遠に仕え、永遠に共に生きなければならない方とは誰でしょうか。それは正に永遠無窮に存在される神様です。皆さんはそういう立場に立たなければなりません。一から千万事に至るまで、神様に侍って生活できるところまで進まなければならないのです。
  
 世の中では、ある主権者の息子、娘であると自慢しています。ある会社の社長の息子、娘であると自慢します。しかし、それは問題ではありません。それは、あとでなくなるのです。本当に自慢できるものがあるとするなら、それは善の理念を通して天地万物を造られた創造主である神様に対して、皆さんが父と呼ぶことができ、その創造主が皆さんに対して息子、娘と呼ぶことができるということです。それ以上の場がどこにありますか。

   
  
1970年1月1日

     


おはようございます。いい朝ですね。

 何を実践して、何を実現するのが、神様の理想なのでしょうか?

 それは「ために生きる」実践と「互いにために生き合う世界」の実現です。

ために生きるとは、どういうことでしょうか。ために生きるためには相手が必要です。

天国では愛する人がいなければなりません。

天一国2年天歴1月22日
今日のみ言葉

 侍りたいお父様
 今まで私たちは観念的に神様を呼んできました。宗教的な主体としてのみの神様を呼んできました。
しかし、そうではありません。神様は生命の主体であると同時に生活の主体であり、生活の主体であると同時に理念の主体です。

しかし、どんなにその理念の主体が広く、大きいとしても実質的にそれを生活感情で分析し、体験しなければなりません。もし、生活で体験するその理念の価値を、存在している何ものとも替えることができないと自慢することができる場に立った者がいるとするなら、彼は神様が探し求めている人に違いないはずです。
  
 私たちが感謝すべきことがあるならば、それは神様を父と呼ぶことができ、父に侍ることができる因縁を結んでくださることです。これ以上価値あることはありません。

神様は堕落した人間を収拾して最大の価値を賦与したいとされるのですが、それはこの人類に対して親しく息子とし、娘とするということです。こういう心情を抱き、訪ねてこられるということを皆さんは体験しなければなりません。言葉だけではなく、体験しなければならないのです。

私たちはこのように訪ねてこられる神様に、必ず侍るべき運命に置かれています。皆さんがいかなる指導者に仕えているとしても、その指導者は皆さんが永遠に仕える者ではありません。

今日この地上にいかなる理念を主張する代表者がいるとしても、その代表者も永遠に仕える者ではありません。私たちが永遠に仕え、永遠に共に生きなければならない方とは誰でしょうか。それは正に永遠無窮に存在される神様です。皆さんはそういう立場に立たなければなりません。一から千万事に至るまで、神様に侍って生活できるところまで進まなければならないのです。
  
 世の中では、ある主権者の息子、娘であると自慢しています。ある会社の社長の息子、娘であると自慢します。しかし、それは問題ではありません。それは、あとでなくなるのです。本当に自慢できるものがあるとするなら、それは善の理念を通して天地万物を造られた創造主である神様に対して、皆さんが父と呼ぶことができ、その創造主が皆さんに対して息子、娘と呼ぶことができるということです。それ以上の場がどこにありますか。

   
  
1970年1月1日
創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。。。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:30-31)     天一国2年天歴1月21日   今日のみ言 「考えてこらん。 どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で? それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。 誰もがみんな慕うところではない。誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(1967.7.6)       (7)「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(1969.2.4)
1970年1月1日
おはようございます。

創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。。。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:30-31)


天一国2年天歴1月21日

今日のみ言

 「考えてこらん。
どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で?

それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。
イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。
誰もがみんな慕うところではない。
誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。
だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。
伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(1967.7.6)

 「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。
中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(1969.2.4)

1970年1月1日
おはようございます。

創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。。。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:30-31)


天一国2年天歴1月21日

今日のみ言

 「考えてこらん。
どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で?

それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。
イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。
誰もがみんな慕うところではない。
誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。
だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。
伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(1967.7.6)

 「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。
中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(1969.2.4)

1970年1月1日
おはようございます。

創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。。。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:30-31)


天一国2年天歴1月21日

今日のみ言

 「考えてこらん。
どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で?

それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。
イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。
誰もがみんな慕うところではない。
誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。
だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。
伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(1967.7.6)

 「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。
中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(1969.2.4)

1970年1月1日

おはようございます。

今日も一日 、元気で、み言を自ら悟って行動し、真の愛を実践する真の主人として天の摂理も私の人生も花を咲かせ、実(味)を結ぼう!

七つの習慣の第一番

①主体性を発揮する
出発点となる第一の習慣は「主体性を発揮する」です。人は誰でも“自分の反応を選択する能力”を発揮できるということです。

例えば、人の発言で不機嫌になることも、感謝することも、そのように反応することを自分で選択しているのです。嫌々会社に行くことも、喜んで会社に行くこともです。

この自らの反応のしかたを主体的にコントロールし、周りの状況に左右されることなく、率先的に状況を改善する行動を起こすこと。それがまずもって求められる能力です。



天一国2年天歴1月19日
今日のみ言葉

<終末期に置かれた人類>
 皆様、今日の世界を観察してみてください。世界のどこで、真に人類の将来を案じ、超宗教超国家的次元で、人類の和合と平和のために「殺身成仁」(自己の命を投げ打って仁道のために尽くすこと)する指導を探し出すことができますか。
 人類は今、父母を失った孤児であり、師を見ても分からない不良児であり、主人を失った僕の境遇となって、一寸先も見ることができない青盲(目は開いていて、物の見えない眼病)の人に転落しています。

 世界には今、二百以上の国家がありますが、国家間の関係を見ても、すべて自国の利益にのみ目がくらみ、直接・間接的に熾烈な戦争を継続しているではないですか。人類の福祉と平和のための崇高な志を立てて出帆した国際連合(UN)もやはり、今やその限界点にぶつかり、戦争、飢餓、疾病などの世界的危機に直面しても、万策尽き袖手傍観に明け暮れる、有名無実の機構になりつつあるではないですか。

 人間は、自らを「万物の霊長」という位置に立てて歴史をつくり出してきました。恐るべき殺戮戦と天災地変を経てきましたが、人類は今も生存し、繁殖を繰り返し、漠然とではありますが、より明るく幸福な世界を追求しています。それでは、なぜ人類は、いまだに罪悪と疾病の泥沼から抜け出すことができないのでしょうか。
1970年1月1日

おはようございます。

今日も一日 、元気で、み言を自ら悟って行動し、真の愛を実践する真の主人として天の摂理も私の人生も花を咲かせ、実(味)を結ぼう!

七つの習慣の第一番

①主体性を発揮する
出発点となる第一の習慣は「主体性を発揮する」です。人は誰でも“自分の反応を選択する能力”を発揮できるということです。

例えば、人の発言で不機嫌になることも、感謝することも、そのように反応することを自分で選択しているのです。嫌々会社に行くことも、喜んで会社に行くこともです。

この自らの反応のしかたを主体的にコントロールし、周りの状況に左右されることなく、率先的に状況を改善する行動を起こすこと。それがまずもって求められる能力です。



天一国2年天歴1月19日
今日のみ言葉

<終末期に置かれた人類>
 皆様、今日の世界を観察してみてください。世界のどこで、真に人類の将来を案じ、超宗教超国家的次元で、人類の和合と平和のために「殺身成仁」(自己の命を投げ打って仁道のために尽くすこと)する指導を探し出すことができますか。
 人類は今、父母を失った孤児であり、師を見ても分からない不良児であり、主人を失った僕の境遇となって、一寸先も見ることができない青盲(目は開いていて、物の見えない眼病)の人に転落しています。

 世界には今、二百以上の国家がありますが、国家間の関係を見ても、すべて自国の利益にのみ目がくらみ、直接・間接的に熾烈な戦争を継続しているではないですか。人類の福祉と平和のための崇高な志を立てて出帆した国際連合(UN)もやはり、今やその限界点にぶつかり、戦争、飢餓、疾病などの世界的危機に直面しても、万策尽き袖手傍観に明け暮れる、有名無実の機構になりつつあるではないですか。

 人間は、自らを「万物の霊長」という位置に立てて歴史をつくり出してきました。恐るべき殺戮戦と天災地変を経てきましたが、人類は今も生存し、繁殖を繰り返し、漠然とではありますが、より明るく幸福な世界を追求しています。それでは、なぜ人類は、いまだに罪悪と疾病の泥沼から抜け出すことができないのでしょうか。

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