
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
天一国2年天歴67日
今日の訓読のみ言
神の戦法・サタンの戦法
メシヤと我々
◇サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。
サタンの戦法はどうか、悪人の戦法はどうか? 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。
過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。
例えば、2人の兄弟がいる。兄さんと弟さんがいる。満20歳の兄と10歳の弟がいる。その場合に、親は兄さんに毎日相談をするんだね。しかし、そういう兄さんが何の罪も犯していないその弟に対してぶったならば、何の悪いこともしていないのに手をつけたならば、父母が兄さんを中心としていたすべては直ちに崩れてしまうのです。そして弟のほうを助ける。絶対的にそうである。なぜ弟をいじめるのか。何が悪いか。それに反発した場合には永遠に切られてしまう。
だから善悪はどこから始まるや? 先に被害を与えたところが悪である。いくらいいことを言っても、被害を与えた場合には悪に終わる。これをはっきり知らなければならない。悪くないのに、その国が攻められた場合には、攻めた国が攻められた者に支配される。その原則を、はっきり知らなければならない。統一教会の食口としてもいい人はいい人である。カイン・アベルである。被害の動機になった人、それはカインである。エデンの園において天使長はアダム・エバに被害を与えた。被害を先に被らせる者が悪である。それを治めるのが法律である。被害を与えた者が善か悪か? それは一般社会での悪、サタン世界の悪も通じるんだよ。
人を見るとしても、ほほえみながら気持ちいい姿をした人をみな見詰める。気持ち悪い人相をした場合には悪だ。だから向かい合う時には、必ずほほえみながら頭を下げる。これは恐ろしい戦法である。これが善悪の分かれ目である。
話をする時にも、謙遜な者と傲慢な者。一人は春に小鳥がさえずるように歌いながら、気持ちいい姿でもって話をする。一方は傲慢な姿でもって、ぷんぷん言う。見ただけで気持ち悪い。人間は笑顔でいつでも歌いたい。口を開ければ歌う。そういう気持ちを持った者に悪人はいません。
被害を与える者は悪である。被害を被る者は善である。そうして悪の被害を与えられた者が黙って、そのままの道を続けていくならば、悪を犯したすべての者から戦わずして相続する素晴らしい道がある。これをイエス様はよくよく知っている。研究したらそうなっている。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
天一国2年天歴67日
今日の訓読のみ言
神の戦法・サタンの戦法
メシヤと我々
◇サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。
サタンの戦法はどうか、悪人の戦法はどうか? 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。
過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。
例えば、2人の兄弟がいる。兄さんと弟さんがいる。満20歳の兄と10歳の弟がいる。その場合に、親は兄さんに毎日相談をするんだね。しかし、そういう兄さんが何の罪も犯していないその弟に対してぶったならば、何の悪いこともしていないのに手をつけたならば、父母が兄さんを中心としていたすべては直ちに崩れてしまうのです。そして弟のほうを助ける。絶対的にそうである。なぜ弟をいじめるのか。何が悪いか。それに反発した場合には永遠に切られてしまう。
だから善悪はどこから始まるや? 先に被害を与えたところが悪である。いくらいいことを言っても、被害を与えた場合には悪に終わる。これをはっきり知らなければならない。悪くないのに、その国が攻められた場合には、攻めた国が攻められた者に支配される。その原則を、はっきり知らなければならない。統一教会の食口としてもいい人はいい人である。カイン・アベルである。被害の動機になった人、それはカインである。エデンの園において天使長はアダム・エバに被害を与えた。被害を先に被らせる者が悪である。それを治めるのが法律である。被害を与えた者が善か悪か? それは一般社会での悪、サタン世界の悪も通じるんだよ。
人を見るとしても、ほほえみながら気持ちいい姿をした人をみな見詰める。気持ち悪い人相をした場合には悪だ。だから向かい合う時には、必ずほほえみながら頭を下げる。これは恐ろしい戦法である。これが善悪の分かれ目である。
話をする時にも、謙遜な者と傲慢な者。一人は春に小鳥がさえずるように歌いながら、気持ちいい姿でもって話をする。一方は傲慢な姿でもって、ぷんぷん言う。見ただけで気持ち悪い。人間は笑顔でいつでも歌いたい。口を開ければ歌う。そういう気持ちを持った者に悪人はいません。
被害を与える者は悪である。被害を被る者は善である。そうして悪の被害を与えられた者が黙って、そのままの道を続けていくならば、悪を犯したすべての者から戦わずして相続する素晴らしい道がある。これをイエス様はよくよく知っている。研究したらそうなっている。
- 1970年1月1日
-
今日もよろしくお願いします。第三次路程始まりました。3次路程は8月12日までです。勝利するためにはみんなが一つになって良き授受して、浄化精誠、関係結びをすることです。
みんな勝利して行きましょう。
天一国2年天歴6月6日
今日のみ言葉
◇復帰は信じ愛すること
神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。
共に住みたがる、共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。
- 1970年1月1日
-
今日もよろしくお願いします。第三次路程始まりました。3次路程は8月12日までです。勝利するためにはみんなが一つになって良き授受して、浄化精誠、関係結びをすることです。
みんな勝利して行きましょう。
天一国2年天歴6月6日
今日のみ言葉
◇復帰は信じ愛すること
神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その 基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。
共に住みたがる、共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。
- 1970年1月1日
-

おはようございます。新たに7月を迎えました。天に合わせ勝利して行きましょう。
天一国2年天歴6月5日
今日のみ言葉
■神の創造目的が「ビジョン2020」の根に
日本統一運動にとって何よりも重要なことは、皆が共感し、共に挑戦したいと思う共通の「ビジョン」を立てて進んでいくことであると考えます。
真の父母様の勝利圏を通して「天一国基元節」と天一国実体時代を迎えた日本統一教会と統一運動が、実体の天一国を建設するため、2020年までに必ず成し遂げるべき具体的な姿、すなわち「ビジョン2020」という青写真は、正に「幸せな家庭、健康な教会、国家と世界に貢献する統一運動」です。
この青写真の根は、天の父母様(神様)のみ言、「原理」、すなわち神様の創造目的(創造理想)にあります。その創造目的は、地上に真の父母理想を通して真の家庭を築くことであり、その拡大体として理想世界を成すことです。
これを実体的に成し遂げられた方が天地人真の父母様であられます。第一創造主である神様の創造目的は、第二創造主である真の父母様が真の家庭を築き、神様と完全一体を成すことです。そのことを通して初めて神様の直接主管圏時代が開幕するのです。
このような点で「基元節」は、真の父母様の勝利圏を通して神様の直接主管圏時代が開幕したことを意味し、同時に祝福家庭が神様の子女の立場に復帰されたことを意味するのです。
■天一国時代の祝福家庭の使命
天一国時代を迎えた祝福家庭の使命は、まず神様の真の愛を中心に二人が一つになる天一国を、家庭において築き、氏族、民族、国家、世界、天宙に拡大させて天一国を成し、究極的な天一国、すなわち地上天国と天上天国の理想世界を実現していくところにあります。
このために祝福家庭は、まず自分の家庭を理想家庭にして天一国家庭を築き、新氏族的メシヤの使命を完遂して、天一国氏族をつくっていかなければなりません。また日本国民と人類を、祝福を通して天一国の民にしなければなりません。これが、神様と真の父母様が私たち統一家に伝えてくださった勝利圏であり、伝統です。
イエス様が地上に来られた本来の目的は、キリスト教を立てることではなく、真の家庭を築くことでした。真の父母様が地上に残された最大の業績は、統一教会ではありません。それは真の家庭、さらに祝福家庭を残されたことです。
したがって、天一国時代における「神霊と真理に満ちた教会」の出発点は、「家庭教会(ホームチャーチ)」であると言うことができます。
過去の蕩減時代の「教会」は神様の仮の住まいでした。第一創造主である神様は、本来、完成したアダムとエバが真の父母の理想を成し、第二創造主として完全一体を成した真の家庭に永遠に一緒に住むことを願われました。
しかし、人間始祖アダムとエバの堕落により、神様は堕落したアダムとエバが築いた家庭に住むことができず、復帰摂理歴史を通してメシヤを探してこなければならなかったのです。そのメシヤが真の父母となり、(神様は)真の家庭理想を築くことを願われ、ひいては全世界の祝福家庭とその伝統を残すことを願われたのです。
神様の復帰摂理の目的は、真の父母を探し出し、真の家庭を成し、その家庭が広がって理想世界を築くことでした。「教会」はその理想が成されるまで神様が住まわれる「仮の住まい」だと考えればよいのです。メシヤが来られるまでは、まるでホームレスのような生活をされていた、かわいそうな神様を、教会という仮の住まいにお迎えし、そこで生活していただいたと言えます。
このような悲惨な神様を、真の父母様が真の家庭理想を成してお迎えしたのです。したがって、全ての祝福家庭は、真の父母様の勝利圏と伝統を相続し、理想家庭を築いて新氏族的メシヤの使命を完遂し、氏族の中に神様をお迎えしなければならない時代が、正に天一国時代です。
過去の蕩減時代は教会が中心でしたが、天一国時代は家庭教会が中心になります。したがって、ビジョン2020を達成するための主要戦略の一つが、正に「牧会者・食口共同牧会」というものです。それはまず、自分の家庭を復帰し、理想家庭を築くことのできる自己牧会、夫婦牧会、子女牧会、父母牧会をすることができなければならないという意味です。そして、新氏族的メシヤになるのです。
理想家庭を築くことは、真の父母様の遺業を成す道であり、天一国実現の出発点です。
■天の摂理の結実である「天一国」
基元節を起点として始まった天一国実体時代は、天の摂理を天一国として結実させなければならない時代です。
真の父母様は、実体天一国、すなわち神様の創造理想が完全に成された天上天国、地上天国を実現するに当たり、個人から家庭、氏族、民族、国家という5段階までの天一国を成してこそ、世界的、天宙的次元の実体天一国が成されると語られました。そして、天一国の出発点が、正に個人と家庭にある点も強調されました。
ビジョン2020は、単純に大きな伝道の実績を出すためのビジョンではありません。それは目標にはなりますが、決してビジョンにはなりません。「伝道をして日本教会および統一運動は何をするのか」がはっきりしなければなりません。それが正に、実体の天一国を建設することです。
日本の社会を動かして、世界から尊敬と愛を受けられる統一運動として変化、改革し、天一国建設の社会的基盤をつくっていくことが、正にビジョン2020なのです。
このようなビジョンを成し遂げるに当たり、その出発点が、幸せな家庭、さらには健康な教会を築くことにあることを忘れないようにお願いします。日本の統一運動の指導者と祝福家庭、食口の皆様は、ビジョン2020の主人、実践者となってくださるよう切にお願いします。
- 1970年1月1日
-

おはようございます。新たに7月を迎えました。天に合わせ勝利して行きましょう。
天一国2年天歴6月5日
今日のみ言葉
■神の創造目的が「ビジョン2020」の根に
日本統一運動にとって何よりも重要なことは、皆が共感し、共に挑戦したいと思う共通の「ビジョン」を立てて進んでいくことであると考えます。
真の父母様の勝利圏を通して「天一国基元節」と天一国実体時代を迎えた日本統一教会と統一運動が、実体の天一国を建設するため、2020年までに必ず成し遂げるべき具体的な姿、すなわち「ビジョン2020」という青写真は、正に「幸せな家庭、健康な教会、国家と世界に貢献する統一運動」です。
この青写真の根は、天の父母様(神様)のみ言、「原理」、すなわち神様の創造目的(創造理想)にあります。その創造目的は、地上に真の父母理想を通して真の家庭を築くことであり、その拡大体として理想世界を成すことです。
これを実体的に成し遂げられた方が天地人真の父母様であられます。第一創造主である神様の創造目的は、第二創造主である真の父母様が真の家庭を築き、神様と完全一体を成すことです。そのことを通して初めて神様の直接主管圏時代が開幕するのです。
このような点で「基元節」は、真の父母様の勝利圏を通して神様の直接主管圏時代が開幕したことを意味し、同時に祝福家庭が神様の子女の立場に復帰されたことを意味するのです。
■天一国時代の祝福家庭の使命
天一国時代を迎えた祝福家庭の使命は、まず神様の真の愛を中心に二人が一つになる天一国を、家庭において築き、氏族、民族、国家、世界、天宙に拡大させて天一国を成し、究極的な天一国、すなわち地上天国と天上天国の理想世界を実現していくところにあります。
このために祝福家庭は、まず自分の家庭を理想家庭にして天一国家庭を築き、新氏族的メシヤの使命を完遂して、天一国氏族をつくっていかなければなりません。また日本国民と人類を、祝福を通して天一国の民にしなければなりません。これが、神様と真の父母様が私たち統一家に伝えてくださった勝利圏であり、伝統です。
イエス様が地上に来られた本来の目的は、キリスト教を立てることではなく、真の家庭を築くことでした。真の父母様が地上に残された最大の業績は、統一教会ではありません。それは真の家庭、さらに祝福家庭を残されたことです。
したがって、天一国時代における「神霊と真理に満ちた教会」の出発点は、「家庭教会(ホームチャーチ)」であると言うことができます。
過去の蕩減時代の「教会」は神様の仮の住まいでした。第一創造主である神様は、本来、完成したアダムとエバが真の父母の理想を成し、第二創造主として完全一体を成した真の家庭に永遠に一緒に住むことを願われました。
しかし、人間始祖アダムとエバの堕落により、神様は堕落したアダムとエバが築いた家庭に住むことができず、復帰摂理歴史を通してメシヤを探してこなければならなかったのです。そのメシヤが真の父母となり、(神様は)真の家庭理想を築くことを願われ、ひいては全世界の祝福家庭とその伝統を残すことを願われたのです。
神様の復帰摂理の目的は、真の父母を探し出し、真の家庭を成し、その家庭が広がって理想世界を築くことでした。「教会」はその理想が成されるまで神様が住まわれる「仮の住まい」だと考えればよいのです。メシヤが来られるまでは、まるでホームレスのような生活をされていた、かわいそうな神様を、教会という仮の住まいにお迎えし、そこで生活していただいたと言えます。
このような悲惨な神様を、真の父母様が真の家庭理想を成してお迎えしたのです。したがって、全ての祝福家庭は、真の父母様の勝利圏と伝統を相続し、理想家庭を築いて新氏族的メシヤの使命を完遂し、氏族の中に神様をお迎えしなければならない時代が、正に天一国時代です。
過去の蕩減時代は教会が中心でしたが、天一国時代は家庭教会が中心になります。したがって、ビジョン2020を達成するための主要戦略の一つが、正に「牧会者・食口共同牧会」というものです。それはまず、自分の家庭を復帰し、理想家庭を築くことのできる自己牧会、夫婦牧会、子女牧会、父母牧会をすることができなければならないという意味です。そして、新氏族的メシヤになるのです。
理想家庭を築くことは、真の父母様の遺業を成す道であり、天一国実現の出発点です。
■天の摂理の結実である「天一国」
基元節を起点として始まった天一国実体時代は、天の摂理を天一国として結実させなければならない時代です。
真の父母様は、実体天一国、すなわち神様の創造理想が完全に成された天上天国、地上天国を実現するに当たり、個人から家庭、氏族、民族、国家という5段階までの天一国を成してこそ、世界的、天宙的次元の実体天一国が成されると語られました。そして、天一国の出発点が、正に個人と家庭にある点も強調されました。
ビジョン2020は、単純に大きな伝道の実績を出すためのビジョンではありません。それは目標にはなりますが、決してビジョンにはなりません。「伝道をして日本教会および統一運動は何をするのか」がはっきりしなければなりません。それが正に、実体の天一国を建設することです。
日本の社会を動かして、世界から尊敬と愛を受けられる統一運動として変化、改革し、天一国建設の社会的基盤をつくっていくことが、正にビジョン2020なのです。
このようなビジョンを成し遂げるに当たり、その出発点が、幸せな家庭、さらには健康な教会を築くことにあることを忘れないようにお願いします。日本の統一運動の指導者と祝福家庭、食口の皆様は、ビジョン2020の主人、実践者となってくださるよう切にお願いします。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
いい朝ですね。
□服従するのは主体と一つになって主体の栄光に参与するためである。
天一国2年天歴6月4日
今日のみ言葉
巨大な秘密の門を開ける鍵
◇4月には故郷からきちんと学費を送ってきましたが、生活が苦しい周囲の人たちを見過ごしにできず、5月になる前に全部なくなりました。学校に行く途中、息も絶え絶えの人に出くわしたことがあります。かわいそうに思うと足が止まってしまい、その人を背負って2キロほど離れた病院に向かって走り出しました。運良く財布に入っていた学費の残りで治療費を払うと、あとはもうすっからかんです。今度は自分の学費が払えなくなり、学校から督促を受けることになりました。それを見て、友人がお金を1銭、2銭と集めてくれました。その時の友人は生涯忘れられません。
助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「10を助けなさい」と言うのに、5しか助けないのでは駄目です。「10を与えよ」と言われたら、100を与えるのが正しいのです。人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。
陰徳を受けたときは、必ず、もっと大きくして返すのが人の道です。しかし、その人に直接会えないこともあるでしょう。恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、大事なのはその人を思う心です。ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを今度は他の人に施そうという一途な心で生きるのがよいのです。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
いい朝ですね。
□服従するのは主体と一つになって主体の栄光に参与するためである。
天一国2年天歴6月4日
今日のみ言葉
巨大な秘密の門を開ける鍵
◇4月には故郷からきちんと学費を送ってきましたが、生活が苦しい周囲の人たちを見過ごしにできず、5月になる前に全部なくなりました。学校に行く途中、息も絶え絶えの人に出くわしたことがあります。かわいそうに思うと足が止まってしまい、その人を背負って2キロほど離れた病院に向かって走り出しました。運良く財布に入っていた学費の残りで治療費を払うと、あとはもうすっからかんです。今度は自分の学費が払えなくなり、学校から督促を受けることになりました。それを見て、友人がお金を1銭、2銭と集めてくれました。その時の友人は生涯忘れられません。
助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「10を助けなさい」と言うのに、5しか助けないのでは駄目です。「10を与えよ」と言われたら、100を与えるのが正しいのです。人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。
陰徳を受けたときは、必ず、もっと大きくして返すのが人の道です。しかし、その人に直接会えないこともあるでしょう。恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、大事なのはその人を思う心です。ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを今度は他の人に施そうという一途な心で生きるのがよいのです。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
□名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。
天一国2年天歴6月3日
今日の訓読のみ言
復帰は信じ愛すること
◇神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その 基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。共に住みたがる、共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
□名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。
天一国2年天歴6月3日
今日の訓読のみ言
復帰は信じ愛すること
◇神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その 基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。共に住みたがる、共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。
▲TOP