教会NEWS

1970年1月1日
____0623_____
おはようございます。今月最終の一週間を天の父母様と真の父母様と一緒に頑張りましょう。
□サタンも行けないという道を行かなければならない。サタンを追い払うためである。


天一国2年天歴5月26日
今日の訓読のみ言 〓

神様の祖国
神様の祖国解産完成より

◇皆さんには国がありません。神様にも国がありません。神様に祖国がないので、私たちにも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の真の愛と私たちの愛で、個人を中心として、家庭を中心として、氏族を中心として、民族を中心として、国家を中心として、愛でそのすべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。真の愛の個人、家庭、氏族、民族、そして国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観です。(134―216、1985・7・20)

 皆さんの心の中で常に考えなければならないことは何でしょうか。天が愛され、希望する祖国です。イエス様が十字架で亡くなられたのち、今まで二千年間、希望をもって闘ってきた目的はどこにあるのですか。家庭を願ってきたのではありません。氏族と民族と国家、最後の目的は祖国のためだというのです。国のない民は最も哀れです。国がなければ、いくら愛する父母と親族がいたとしても、怨讐の国が来て襲いかかってくれば、彼らは悲惨なことになるのです。ですから、最高の一念とは何でしょうか。「祖国」という言葉です。祖国の中には、民族が入っていて、氏族が入っていて、家庭が入っていて、個人が入っています。皆さんは、これを知らなければなりません。(155―217、1965・10・30)

今日、先生が言う「祖国統一」というものは、今日の統一教会を中心とする祖国統一ではありません。神様を中心として、過去、現在、未来の人々が願った理想の上に立って言う祖国統一です。そのような祖国統一が、今日のこのような疲弊した基準値以下の立場で、語り、考え、行動することによって成し遂げられ、達成できると考えているとすれば、それは大きな誤算です。このような考えを是正し、撃破しなければなりません。



 祖国統一というものは、統一教会を越えて成し遂げられるものです。摂理史的に世界を越えて復帰される神様の祖国を意味するのです。ですから、私たちが求める祖国は、私たちだけのものではありません。神様も求め願われる祖国だというのです。このような概念を私たちは知らなければなりません。(172―163、1988・1・10)

 神様の祖国は、どこから取り戻してくるのでしょうか。どのような道を通して取り戻してくるのでしょうか。怨讐を愛する道です。個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族、国家、世界の怨讐を愛する、この伝統的な道以外には、そのような理想的な祖国は現れないということを知らなければなりません。(107―22、1980・2・2
1970年1月1日
____0623_____
おはようございます。今月最終の一週間を天の父母様と真の父母様と一緒に感張りましょう。
□サタンも行けないという道を行かなければならない。サタンを追い払うためである。


天一国2年天歴5月26日
今日の訓読のみ言 〓

神様の祖国
神様の祖国解産完成より

◇皆さんには国がありません。神様にも国がありません。神様に祖国がないので、私たちにも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の真の愛と私たちの愛で、個人を中心として、家庭を中心として、氏族を中心として、民族を中心として、国家を中心として、愛でそのすべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。真の愛の個人、家庭、氏族、民族、そして国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観です。(134―216、1985・7・20)

 皆さんの心の中で常に考えなければならないことは何でしょうか。天が愛され、希望する祖国です。イエス様が十字架で亡くなられたのち、今まで二千年間、希望をもって闘ってきた目的はどこにあるのですか。家庭を願ってきたのではありません。氏族と民族と国家、最後の目的は祖国のためだというのです。国のない民は最も哀れです。国がなければ、いくら愛する父母と親族がいたとしても、怨讐の国が来て襲いかかってくれば、彼らは悲惨なことになるのです。ですから、最高の一念とは何でしょうか。「祖国」という言葉です。祖国の中には、民族が入っていて、氏族が入っていて、家庭が入っていて、個人が入っています。皆さんは、これを知らなければなりません。(155―217、1965・10・30)

今日、先生が言う「祖国統一」というものは、今日の統一教会を中心とする祖国統一ではありません。神様を中心として、過去、現在、未来の人々が願った理想の上に立って言う祖国統一です。そのような祖国統一が、今日のこのような疲弊した基準値以下の立場で、語り、考え、行動することによって成し遂げられ、達成できると考えているとすれば、それは大きな誤算です。このような考えを是正し、撃破しなければなりません。


 祖国統一というものは、統一教会を越えて成し遂げられるものです。摂理史的に世界を越えて復帰される神様の祖国を意味するのです。ですから、私たちが求める祖国は、私たちだけのものではありません。神様も求め願われる祖国だというのです。このような概念を私たちは知らなければなりません。(172―163、1988・1・10)

 神様の祖国は、どこから取り戻してくるのでしょうか。どのような道を通して取り戻してくるのでしょうか。怨讐を愛する道です。個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族、国家、世界の怨讐を愛する、この伝統的な道以外には、そのような理想的な祖国は現れないということを知らなければなりません。(107―22、1980・2・2
1970年1月1日
おはようございます。
□自分自身を一度振り返ってみよ。私は後退しているのか、それとも前進しているのか。

天一国2年天歴5月22日
今日の訓読のみ言

神様の祖国

皆さんには国がありません。神様にも国がありません。神様に祖国がないので、私たちにも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の真の愛と私たちの愛で、個人を中心として、家庭を中心として、氏族を中心として、民族を中心として、国家を中心として、愛でそのすべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。真の愛の個人、家庭、氏族、民族、そして国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観です。(134―216、1985・7・20)

 皆さんの心の中で常に考えなければならないことは何でしょうか。天が愛され、希望する祖国です。イエス様が十字架で亡くなられたのち、今まで二千年間、希望をもって闘ってきた目的はどこにあるのですか。家庭を願ってきたのではありません。氏族と民族と国家、最後の目的は祖国のためだというのです。国のない民は最も哀れです。国がなければ、いくら愛する父母と親族がいたとしても、怨讐の国が来て襲いかかってくれば、彼らは悲惨なことになるのです。ですから、最高の一念とは何でしょうか。「祖国」という言葉です。祖国の中には、民族が入っていて、氏族が入っていて、家庭が入っていて、個人が入っています。皆さんは、これを知らなければなりません。(155―217、1965・10・30)

今日、先生が言う「祖国統一」というものは、今日の統一教会を中心とする祖国統一ではありません。神様を中心として、過去、現在、未来の人々が願った理想の上に立って言う祖国統一です。そのような祖国統一が、今日のこのような疲弊した基準値以下の立場で、語り、考え、行動することによって成し遂げられ、達成できると考えているとすれば、それは大きな誤算です。このような考えを是正し、撃破しなければなりません。

 祖国統一というものは、統一教会を越えて成し遂げられるものです。
摂理史的に世界を越えて復帰される神様の祖国を意味するのです。ですから、私たちが求める祖国は、私たちだけのものではありません。神様も求め願われる祖国だというのです。このような概念を私たちは知らなければなりません。(172―163、1988・1・10)

 神様の祖国は、どこから取り戻してくるのでしょうか。どのような道を通して取り戻してくるのでしょうか。怨讐を愛する道です。個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族、国家、世界の怨讐を愛する、この伝統的な道以外には、そのような理想的な祖国は現れないということを知らなければなりません。(107―22、1980・2・2
1970年1月1日
おはようございます。
□自分自身を一度振り返ってみよ。私は後退しているのか、それとも前進しているのか。

天一国2年天歴5月22日
今日の訓読のみ言

神様の祖国

皆さんには国がありません。神様にも国がありません。神様に祖国がないので、私たちにも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の真の愛と私たちの愛で、個人を中心として、家庭を中心として、氏族を中心として、民族を中心として、国家を中心として、愛でそのすべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。真の愛の個人、家庭、氏族、民族、そして国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観です。(134―216、1985・7・20)

 皆さんの心の中で常に考えなければならないことは何でしょうか。天が愛され、希望する祖国です。イエス様が十字架で亡くなられたのち、今まで二千年間、希望をもって闘ってきた目的はどこにあるのですか。家庭を願ってきたのではありません。氏族と民族と国家、最後の目的は祖国のためだというのです。国のない民は最も哀れです。国がなければ、いくら愛する父母と親族がいたとしても、怨讐の国が来て襲いかかってくれば、彼らは悲惨なことになるのです。ですから、最高の一念とは何でしょうか。「祖国」という言葉です。祖国の中には、民族が入っていて、氏族が入っていて、家庭が入っていて、個人が入っています。皆さんは、これを知らなければなりません。(155―217、1965・10・30)

今日、先生が言う「祖国統一」というものは、今日の統一教会を中心とする祖国統一ではありません。神様を中心として、過去、現在、未来の人々が願った理想の上に立って言う祖国統一です。そのような祖国統一が、今日のこのような疲弊した基準値以下の立場で、語り、考え、行動することによって成し遂げられ、達成できると考えているとすれば、それは大きな誤算です。このような考えを是正し、撃破しなければなりません。

 祖国統一というものは、統一教会を越えて成し遂げられるものです。
摂理史的に世界を越えて復帰される神様の祖国を意味するのです。ですから、私たちが求める祖国は、私たちだけのものではありません。神様も求め願われる祖国だというのです。このような概念を私たちは知らなければなりません。(172―163、1988・1・10)

 神様の祖国は、どこから取り戻してくるのでしょうか。どのような道を通して取り戻してくるのでしょうか。怨讐を愛する道です。個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族、国家、世界の怨讐を愛する、この伝統的な道以外には、そのような理想的な祖国は現れないということを知らなければなりません。(107―22、1980・2・2
1970年1月1日
おはようございます。
□祭物は平和的な立場において捧げるのではなく、常に第一線において捧げるのが原則である。

天一国2年天歴5月24日
今日の訓読のみ言

教派ではない教会、教会でもない教会

 1953年に私は釜山からソウルに上がってきました。翌年5月、奨(チャン)忠壇(チュンダン)公園に近い北鶴(プカク)洞(トン)のバラックを借りて、「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げました。このような名称にした理由は、いかなる教派にも属したくなかったからです。だからと言って、もう一つ他の教派を作る考えは更にありませんでした。

 「世界基督教」は古今東西にわたるキリスト教のすべてを意味し、「統一」は今後行くべき目的性を意味します。「神霊」は父子関係の愛を中心とする霊肉界の調和を暗示した表現で、簡単に言うと「神様中心の霊界を背景とする」という意味です。特に統一は、神の願う理想世界をつくっていくための私の理想でした。統一は連合ではありません。連合は二つが集まったものですが、統一は二つが一つになることです。後日、私たちの名前になった「統一教会」は、実際には人々が付けてくれた名前であり、当時、大学生の間では「ソウル教会」と呼ばれました。

 とはいえ、私は教会という言葉をさほど好みません。教会とは文字どおり「教える会」です。宗教は「宗となる教え」ですから、教会とは根本的なことを教える集まりという意味になります。本来、教会という言葉で人と私を分ける理由は何もありません。
にもかかわらず、世間は「教会」を特別な意味を持つ言葉として使うのです。私はそういう特別な部類に属したくありませんでした。私が願ったのは教派のない教会でした。真の宗教は、自分の教団を犠牲にしてでも国を救おうとし、国を犠牲にしてでも世界を救おうとするものです。いかなる場合であっても教派が優先にはなり得ません。
 
仕方なく教会の看板を付けたにすぎず、いつでもその看板を外したい思いです。教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でない者と区別されます。一つのものを二つに分けることは正しいことではありません。それは、私が夢見ることでもなく、私の行くべき道でもありません。国を生かし、世界を生かすために、もしも教会の看板を外さなければならないとするならば、今でも私はそうすることができます。
1970年1月1日
おはようございます。
□祭物は平和的な立場において捧げるのではなく、常に第一線において捧げるのが原則である。

天一国2年天歴5月24日
今日の訓読のみ言

教派ではない教会、教会でもない教会

 1953年に私は釜山からソウルに上がってきました。翌年5月、奨(チャン)忠壇(チュンダン)公園に近い北鶴(プカク)洞(トン)のバラックを借りて、「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げました。このような名称にした理由は、いかなる教派にも属したくなかったからです。だからと言って、もう一つ他の教派を作る考えは更にありませんでした。

 「世界基督教」は古今東西にわたるキリスト教のすべてを意味し、「統一」は今後行くべき目的性を意味します。「神霊」は父子関係の愛を中心とする霊肉界の調和を暗示した表現で、簡単に言うと「神様中心の霊界を背景とする」という意味です。特に統一は、神の願う理想世界をつくっていくための私の理想でした。統一は連合ではありません。連合は二つが集まったものですが、統一は二つが一つになることです。後日、私たちの名前になった「統一教会」は、実際には人々が付けてくれた名前であり、当時、大学生の間では「ソウル教会」と呼ばれました。

 とはいえ、私は教会という言葉をさほど好みません。教会とは文字どおり「教える会」です。宗教は「宗となる教え」ですから、教会とは根本的なことを教える集まりという意味になります。本来、教会という言葉で人と私を分ける理由は何もありません。
にもかかわらず、世間は「教会」を特別な意味を持つ言葉として使うのです。私はそういう特別な部類に属したくありませんでした。私が願ったのは教派のない教会でした。真の宗教は、自分の教団を犠牲にしてでも国を救おうとし、国を犠牲にしてでも世界を救おうとするものです。いかなる場合であっても教派が優先にはなり得ません。
 
仕方なく教会の看板を付けたにすぎず、いつでもその看板を外したい思いです。教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でない者と区別されます。一つのものを二つに分けることは正しいことではありません。それは、私が夢見ることでもなく、私の行くべき道でもありません。国を生かし、世界を生かすために、もしも教会の看板を外さなければならないとするならば、今でも私はそうすることができます。
1970年1月1日
おはようございます。
□「私の力でやれることはすべてなしました」という基準を立てるのが一番重要である。


天一国2年天歴5月22日
今日の訓読のみ言

先生は針皆さんは糸

◇今の、我が国の情勢は非常に緊迫(きんぱく)している。キリスト教では、既に2000年の前からこのような時が来ることを警告している。では、いったい誰がこの国に対する責任を負わなければならないのだろうか?それは統一教会の勇士たちがその責任を負わなければならないのだ。

我々は今、「破れた国」という着物を縫(ぬ)い繕(つくろ)わなければならない立場であると例えてみよう。すると、この私は針であり、皆様は糸のようなものである。糸は針にくっついていなければ着物を縫うことができない。針だけいくら通っても駄目だ。で、針も重要であるけれども、糸もまた重要であるという事実を皆様は、はっきりと認識していなければならない。皆様と私が一緒になって、針と糸との関係を結び、そして破れているこの国、あるいは世界という「着物」を修繕しなくてはならない。

もし、国家が滅んでしまえば、統一教会は行くべき所がない。そういう意味からしてでも、我々はこの国家を固守しなければならない。我々はいたずらに共産主義を恐れてはならない。我々は、我々が既に決意したところを勇敢に実践しなくてはならない。我々は何も持たない裸の立場である。しかし我々は共産主義に勝ることができる。我々統一教会の人たちが国家以上のことをするようになる時には、天が我々を保護するだろう。ここに勝敗の鍵があると
私は思うのである。それで我々は勝利を眺めることのできる勇士とならなければならない。

我々は敗者としての悲しみを味わうようになってはならない。このような角度から我々は自我を分析し、批判しなければならないと思う。そして勝利のための苦難を克服する覚悟を決める時が今なのである。常に国を憂(うれ)う人は悲しい人にならざるを得ない。もし皆様の中に本心から国家を憂い、世界を心配する人がいるとすれば、国を、この先生よりももっと愛し、世界をこの先生よりも、もっと愛さなければならない。そのような皆様は決して滅びることがないだろう。


我々は自分の責任を尽くせない人になってはいけない。ゆえに我々は、我々の責任を全うするために倍の努力を傾けなければならないのである。
我々は滅んではならない。滅ぶことができない。現在のあらゆる難関を克服しなければいけない。全体を投入して現実を救わなければならない。もちろん、金も必要だろう。その他の物質も必要な時があるだろう。判断に困る時があるかもしれない。

しかし我々は勇敢に前進しなくてはならない。この先生はどこへ行っても皆様のために祈るだろう。ゆえに皆様も現在を克服しなければならないのである。
1970年1月1日
おはようございます。
□「私の力でやれることはすべてなしました」という基準を立てるのが一番重要である。


天一国2年天歴5月22日
今日の訓読のみ言

先生は針皆さんは糸

◇今の、我が国の情勢は非常に緊迫(きんぱく)している。キリスト教では、既に2000年の前からこのような時が来ることを警告している。では、いったい誰がこの国に対する責任を負わなければならないのだろうか?それは統一教会の勇士たちがその責任を負わなければならないのだ。

我々は今、「破れた国」という着物を縫(ぬ)い繕(つくろ)わなければならない立場であると例えてみよう。すると、この私は針であり、皆様は糸のようなものである。糸は針にくっついていなければ着物を縫うことができない。針だけいくら通っても駄目だ。で、針も重要であるけれども、糸もまた重要であるという事実を皆様は、はっきりと認識していなければならない。皆様と私が一緒になって、針と糸との関係を結び、そして破れているこの国、あるいは世界という「着物」を修繕しなくてはならない。

もし、国家が滅んでしまえば、統一教会は行くべき所がない。そういう意味からしてでも、我々はこの国家を固守しなければならない。我々はいたずらに共産主義を恐れてはならない。我々は、我々が既に決意したところを勇敢に実践しなくてはならない。我々は何も持たない裸の立場である。しかし我々は共産主義に勝ることができる。我々統一教会の人たちが国家以上のことをするようになる時には、天が我々を保護するだろう。ここに勝敗の鍵があると
私は思うのである。それで我々は勝利を眺めることのできる勇士とならなければならない。

我々は敗者としての悲しみを味わうようになってはならない。このような角度から我々は自我を分析し、批判しなければならないと思う。そして勝利のための苦難を克服する覚悟を決める時が今なのである。常に国を憂(うれ)う人は悲しい人にならざるを得ない。もし皆様の中に本心から国家を憂い、世界を心配する人がいるとすれば、国を、この先生よりももっと愛し、世界をこの先生よりも、もっと愛さなければならない。そのような皆様は決して滅びることがないだろう。


我々は自分の責任を尽くせない人になってはいけない。ゆえに我々は、我々の責任を全うするために倍の努力を傾けなければならないのである。
我々は滅んではならない。滅ぶことができない。現在のあらゆる難関を克服しなければいけない。全体を投入して現実を救わなければならない。もちろん、金も必要だろう。その他の物質も必要な時があるだろう。判断に困る時があるかもしれない。

しかし我々は勇敢に前進しなくてはならない。この先生はどこへ行っても皆様のために祈るだろう。ゆえに皆様も現在を克服しなければならないのである。
1970年1月1日
おはようございます。
□神様に対して不平を言うな。その不平は解くことができない罪禍となる。

天一国2年天歴5月21日
今日のみ言葉

◇「世界基督教」は古今東西にわたるキリスト教のすべてを意味し、「統一」は今後行くべき目的性を意味します。「神霊」は父子関係の愛を中心とする
霊肉界の調和を暗示した表現で、簡単に言うと「神様中心の霊界を背景とする」という意味です。特に統一は、神の願う理想世界をつくっていくための私の
理想でした。統一は連合ではありません。連合は二つが集まったものですが、
統一は二つが一つになることです。後日、私たちの名前になった「統一教会」は、実際には人々が付けてくれた名前であり、当時、大学生の間では「ソウル教会」と呼ばれました。

 とはいえ、私は教会という言葉をさほど好みません。教会とは文字どおり
「教える会」です。宗教は「宗となる教え」ですから、教会とは根本的なことを教える集まりという意味になります。本来、教会という言葉で人と私を分ける理由は何もありません。にもかかわらず、世間は「教会」を特別な意味を持つ言葉として使うのです。私はそういう特別な部類に属したくありませんでした。私が願ったのは教派のない教会でした。真の宗教は、自分の教団を犠牲にしてでも国を救おうとし、国を犠牲にしてでも世界を救おうとするものです。いかなる場合であっても教派が優先にはなり得ません。

 仕方なく教会の看板を付けたにすぎず、いつでもその看板を外したい思いです。
教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でない者と区別されます。一つのものを二つに分けることは正しいことではありません。それは、私が夢見ることでもなく、私の行くべき道でもありません。国を生かし、世界を生かすために、もしも教会の看板を外さなければならないとするならば、今でも私はそうすることができます。
1970年1月1日
おはようございます。
□神様に対して不平を言うな。その不平は解くことができない罪禍となる。

天一国2年天歴5月21日
今日のみ言葉

◇「世界基督教」は古今東西にわたるキリスト教のすべてを意味し、「統一」は今後行くべき目的性を意味します。「神霊」は父子関係の愛を中心とする
霊肉界の調和を暗示した表現で、簡単に言うと「神様中心の霊界を背景とする」という意味です。特に統一は、神の願う理想世界をつくっていくための私の
理想でした。統一は連合ではありません。連合は二つが集まったものですが、
統一は二つが一つになることです。後日、私たちの名前になった「統一教会」は、実際には人々が付けてくれた名前であり、当時、大学生の間では「ソウル教会」と呼ばれました。

 とはいえ、私は教会という言葉をさほど好みません。教会とは文字どおり
「教える会」です。宗教は「宗となる教え」ですから、教会とは根本的なことを教える集まりという意味になります。本来、教会という言葉で人と私を分ける理由は何もありません。にもかかわらず、世間は「教会」を特別な意味を持つ言葉として使うのです。私はそういう特別な部類に属したくありませんでした。私が願ったのは教派のない教会でした。真の宗教は、自分の教団を犠牲にしてでも国を救おうとし、国を犠牲にしてでも世界を救おうとするものです。いかなる場合であっても教派が優先にはなり得ません。

 仕方なく教会の看板を付けたにすぎず、いつでもその看板を外したい思いです。
教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でない者と区別されます。一つのものを二つに分けることは正しいことではありません。それは、私が夢見ることでもなく、私の行くべき道でもありません。国を生かし、世界を生かすために、もしも教会の看板を外さなければならないとするならば、今でも私はそうすることができます。

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