
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
今日はみんなの心を一つにして、天の父母様に近くなって行きましょう。
「心の中で、いかに神と近づくかがすべてである。」
天一国2年天歴2月18日
今日のみ言葉
創造本然の男女の愛
愛は、一人では成されないのです。愛は、どこから出てくるのですか。「私」から出てくるのではなく、相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生まれるのです。極めて高貴なものが「私」のところに訪れるのですが、それを受け入れようとすれば、それを貴く思い敬わなければならないという「ために生きる哲学」を実践しなければならないのです。
人には愛があります。しかし、愛というのは、「私」一人では現れません。男性が一人でいるときには、愛は現れません。男性の前に相対的な女性が現れてこそ、愛が生じてくるのです。
このように相対が現れて初めて、愛が生じるのです。
父母の愛が素晴らしく、夫婦の愛が素晴らしいというとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは「私」から始まるのではなく、相対から始まるのです。皆さんは、これを知らなければなりません。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。
愛は、自分自身から始まるのではなく、相対から始まるのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人となるのです。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
今日はみんなの心を一つにして、天の父母様に近くなって行きましょう。
「心の中で、いかに神と近づくかがすべてである。」
天一国2年天歴2月18日
今日のみ言葉
創造本然の男女の愛
愛は、一人では成されないのです。愛は、どこから出てくるのですか。「私」から出てくるのではなく、相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生まれるのです。極めて高貴なものが「私」のところに訪れるのですが、それを受け入れようとすれば、それを貴く思い敬わなければならないという「ために生きる哲学」を実践しなければならないのです。
人には愛があります。しかし、愛というのは、「私」一人では現れません。男性が一人でいるときには、愛は現れません。男性の前に相対的な女性が現れてこそ、愛が生じてくるのです。
このように相対が現れて初めて、愛が生じるのです。
父母の愛が素晴らしく、夫婦の愛が素晴らしいというとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは「私」から始まるのではなく、相対から始まるのです。皆さんは、これを知らなければなりません。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。
愛は、自分自身から始まるのではなく、相対から始まるのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人となるのです。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
人というものは、感謝されると幸せな気分になって、感謝してくれた人を好きになるものです。
しかも、その感謝の気持ちにまた応えたくなるのが人情というものではないでしょうか。
いっそう誠意を尽くすこともあるでしょう。
天一国2年天歴2月17日
今日のみ言葉
神様は一番近くにいらっしゃる方
神様は白い髭が生えているでしょう。それが似合うのです。さあ、神様が髭をそっと触るとき、息子が「僕は長い髭が好きだ」と言えばその髭は長くなり、「短い髭が好きだ」と言えば短い髭になるのです。そうなるはずです。全知全能な神様なので、神様の顔は男性に対するときは粗雑で乱暴に見え、男性格が好きなアダムには男性のように見え、エバのような女性には女性が喜ぶことのできる姿を見せるのです。
神様は天地創造の以前からいたでしょうか、いなかったでしょうか。それでは神様の年は何歳でしょうか。そう、七十しか知らない人は七十だと言ってもいいです。そのような人には神様は「ほほ、私は七十だ」と言うのです。五つしか知らない人が「神様何歳ですか」と言えば「ほほ、五つだ」と言うのです。それ以上知らないからです。数がどんなに多くても、その数で数えられるような神様ではありません。私たちの神様がそうだというのです。
*
神様も冗談が本当に好きです。ユーモアが好きです。ユーモアの大王は誰でしょうか。誰かと言うと、神様です。全知全能なのでユーモアも多いのです。笑うときもにこにこ笑い、おなかをよじりながら笑い、転げ回って笑わせることができる大王とは誰ですか。神様です。そんな大王が神様だというのです。
*
神様は外的に男性に似たとするならば、内的には女性に似たのです。神様は、強く、全知全能でもありますが、お釈迦様のほほえみに花を添えることができる慈悲の心もあるというのです。女性の中の女性のような心もなければなりません。そうしてこそ両面がみな生きるのです。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
人というものは、感謝されると幸せな気分になって、感謝してくれた人を好きになるものです。
しかも、その感謝の気持ちにまた応えたくなるのが人情というものではないでしょうか。
いっそう誠意を尽くすこともあるでしょう。
天一国2年天歴2月17日
今日のみ言葉
神様は一番近くにいらっしゃる方
神様は白い髭が生えているでしょう。それが似合うのです。さあ、神様が髭をそっと触るとき、息子が「僕は長い髭が好きだ」と言えばその髭は長くなり、「短い髭が好きだ」と言えば短い髭になるのです。そうなるはずです。全知全能な神様なので、神様の顔は男性に対するときは粗雑で乱暴に見え、男性格が好きなアダムには男性のように見え、エバのような女性には女性が喜ぶことのできる姿を見せるのです。
神様は天地創造の以前からいたでしょうか、いなかったでしょうか。それでは神様の年は何歳でしょうか。そう、七十しか知らない人は七十だと言ってもいいです。そのような人には神様は「ほほ、私は七十だ」と言うのです。五つしか知らない人が「神様何歳ですか」と言えば「ほほ、五つだ」と言うのです。それ以上知らないからです。数がどんなに多くても、その数で数えられるような神様ではありません。私たちの神様がそうだというのです。
*
神様も冗談が本当に好きです。ユーモアが好きです。ユーモアの大王は誰でしょうか。誰かと言うと、神様です。全知全能なのでユーモアも多いのです。笑うときもにこにこ笑い、おなかをよじりながら笑い、転げ回って笑わせることができる大王とは誰ですか。神様です。そんな大王が神様だというのです。
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神様は外的に男性に似たとするならば、内的には女性に似たのです。神様は、強く、全知全能でもありますが、お釈迦様のほほえみに花を添えることができる慈悲の心もあるというのです。女性の中の女性のような心もなければなりません。そうしてこそ両面がみな生きるのです。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
いい朝ですね。
天一国2年天歴2月16日
今日の訓読のみ言 
自然は愛の理想を教えてくれる教材
自然とは何でしょうか。神様が私のために、慈しむ愛をもった息子、娘が生まれるとき、慈しむことができる万物として、贈り物として下さった展示品です。鳥の鳴き声一つが、成長していく草一株が、愛する息子、娘たちの生活の美化のためにつくられた装飾品なのです。路傍にころ
がっている岩も、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品としてつくったのです。流れる水も同じです。
無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園として、愛のためのそのような世界を見て、その相続を受けることができる夢の王子、希望の王子を造るために創造されたのです。そのため、万物を通して学ぶのです。雄と雌が「ちゅんちゅん」するとき、これをその主人になるおばさんも学べというのです。互いに慈しむ世界に向かい、自分の一生を命を懸けて生きている本然の被造世界のその美しさを、褒めたたえられなければなりません。そのようになれば、その家の垣根に鳥も飛んできて暮らそうともするのです。雛を産もうとするのです。何の話か分かりますか。
博物館にある、何かの作品がどんなに貴重だと言っても、生きている作品にかないますか。神様の作品であるこの地球星の万物博物館を、誰が神様以上に愛したのかというのです。自分の国の博物館以上に愛したのかというのです。
道端で踏まれるたんぽぽ一株が、博物館にある新羅時代の金の冠よと比べられますか。神様が直接つくられたものであるのに。そのような神様の心情をもって、「お前を、本然の神様が慈しむことができる王の位置で、愛を受けたその位置で、愛せない私自身が申し訳ない。恥ずかしい」と言い得る心をもって慈しむ、そのような王がいるとすれば、その草もその王に従っていき、永遠不変、共にいたいと思うでしょう。そのように生きなければならない人間なのです。(175-187, 1988.4.16)
- 1970年1月1日
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おはようございます。
いい朝ですね。
天一国2年天歴2月16日
今日の訓読のみ言 
自然は愛の理想を教えてくれる教材
自然とは何でしょうか。神様が私のために、慈しむ愛をもった息子、娘が生まれるとき、慈しむことができる万物として、贈り物として下さった展示品です。鳥の鳴き声一つが、成長していく草一株が、愛する息子、娘たちの生活の美化のためにつくられた装飾品なのです。路傍にころ
がっている岩も、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品としてつくったのです。流れる水も同じです。
無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園として、愛のためのそのような世界を見て、その相続を受けることができる夢の王子、希望の王子を造るために創造されたのです。そのため、万物を通して学ぶのです。雄と雌が「ちゅんちゅん」するとき、これをその主人になるおばさんも学べというのです。互いに慈しむ世界に向かい、自分の一生を命を懸けて生きている本然の被造世界のその美しさを、褒めたたえられなければなりません。そのようになれば、その家の垣根に鳥も飛んできて暮らそうともするのです。雛を産もうとするのです。何の話か分かりますか。
博物館にある、何かの作品がどんなに貴重だと言っても、生きている作品にかないますか。神様の作品であるこの地球星の万物博物館を、誰が神様以上に愛したのかというのです。自分の国の博物館以上に愛したのかというのです。
道端で踏まれるたんぽぽ一株が、博物館にある新羅時代の金の冠よと比べられますか。神様が直接つくられたものであるのに。そのような神様の心情をもって、「お前を、本然の神様が慈しむことができる王の位置で、愛を受けたその位置で、愛せない私自身が申し訳ない。恥ずかしい」と言い得る心をもって慈しむ、そのような王がいるとすれば、その草もその王に従っていき、永遠不変、共にいたいと思うでしょう。そのように生きなければならない人間なのです。(175-187, 1988.4.16)
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
祈りから一日を始めましょう。
そして祈りで終わるようにしましょう。
天一国2年天歴2月15日
今日のみ言
父の祈りから
お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが争っている教派を一つに統一することができ、また地上天国を成すことができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離された教派をつくる意向は絶対にありませんでした。
しかし、神様のメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去四十三年の苦労がそれでした。
一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として始め、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野等で扱われ、この世界を蕩減復帰することができる標本と典型をつくろうと努力しました。
- 1970年1月1日
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おはようございます。
祈りから一日を始めましょう。
そして祈りで終わるようにしましょう。
天一国2年天歴2月15日
今日のみ言
父の祈りから
お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが争っている教派を一つに統一することができ、また地上天国を成すことができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離された教派をつくる意向は絶対にありませんでした。
しかし、神様のメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去四十三年の苦労がそれでした。
一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として始め、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野等で扱われ、この世界を蕩減復帰することができる標本と典型をつくろうと努力しました。
- 1970年1月1日
-
おはようございます。
かわらないといけないのは私です。
私から浄化精誠、セルフコーチングして始めましょう。
天一国2年天歴2月14日
今日のみ言
祈祷は、神様と対話をすることです。ですから、特別な場所に座って祈祷するよりも、日常の生活の中で、天とともに同化することができる時間をもたなければなりません。そのような時間が祈祷の時間となりうるのです。
このように見るならば、言葉でする祈祷よりは、歌でする祈祷のほうが感動的です。そのような祈祷を通して、自分自身が神秘境に引き込まれていくのを体験することができます。(270-17,1995.5.3)

皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収めることのできる鍬が、今まではなかったのです。分からないのでできなかったのです。しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫することができるのです。
*
自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? このことを前提として語られた言葉です。
*
- 1970年1月1日
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おはようございます。
かわらないといけないのは私です。
私から浄化精誠、セルフコーチングして始めましょう。
天一国2年天歴2月14日
今日のみ言
祈祷は、神様と対話をすることです。ですから、特別な場所に座って祈祷するよりも、日常の生活の中で、天とともに同化することができる時間をもたなければなりません。そのような時間が祈祷の時間となりうるのです。
このように見るならば、言葉でする祈祷よりは、歌でする祈祷のほうが感動的です。そのような祈祷を通して、自分自身が神秘境に引き込まれていくのを体験することができます。(270-17,1995.5.3)

皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収めることのできる鍬が、今まではなかったのです。分からないのでできなかったのです。しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫することができるのです。
*
自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? このことを前提として語られた言葉です。
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