- 1970年1月1日
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- 1970年1月1日
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おはようございます。
天一国2年天歴2月13日
今日のみ言
私たちはホーム・チャーチを中心として、それぞれ個人から家庭、氏族、民族、国家を越えて世界の前にこれを広げ、 蕩減条件の環境をなくすために、 全面的な前進をすることを誓っていますし、 この運動を提示するようにしてくださった恩賜に感 謝を申し上げます。
良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、 良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。 だから良心は正しいのです。 良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、 自分に対して分からないことはないのです。良心は、 自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、 自分の良心をだましながらやってきたのです。
ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです! 姑をだましているのです! 子供をだましているのです! それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。 愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級) 基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。 もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、 いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期) 基準で一体となったとしても、 堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、 サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、 一つにすることができるというのです。だからサタンは、 その場に留まることができません。逃げていくのです。 - 1970年1月1日
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おはようございます。
天一国2年天歴2月13日
今日のみ言
私たちはホーム・チャーチを中心として、それぞれ個人から家庭、氏族、民族、国家を越えて世界の前にこれを広げ、 蕩減条件の環境をなくすために、 全面的な前進をすることを誓っていますし、 この運動を提示するようにしてくださった恩賜に感 謝を申し上げます。
良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、 良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。 だから良心は正しいのです。 良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、 自分に対して分からないことはないのです。良心は、 自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、 自分の良心をだましながらやってきたのです。
ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです! 姑をだましているのです! 子供をだましているのです! それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。 愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級) 基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。 もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、 いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期) 基準で一体となったとしても、 堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、 サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、 一つにすることができるというのです。だからサタンは、 その場に留まることができません。逃げていくのです。 - 1970年1月1日
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-------0312------
おはようございます。
いつも感謝の気持ちを表現しましょう。
-ごめんなさい。
-赦してください。
-感謝します。
-愛しています。
天一国2年天歴212日
今日のみ言
父の祈りから
お父様!
今日私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。
忠孝と真の愛の有無が方向を決める。
愛は、自らの家庭から父母の助けを願うことではありませんか。自分が父と母の愛を受けたならば、 父と母を愛さなければなりません。 天理はそのようになっています。すべての心情的な誘発点は、 父子の関係から連結されるのです。それは、 すべて郷里から植えられてくるのです。
しかし、堕落することによって、これがすべて食い違ってしまいました。 それをこの地で解かなければなりません。郷里に帰っていって、 サタン側に立って愛する数多くの孝子、孝女以上に孝子、 孝女の立て札を立ててこそ、天使長ではなく、 善の霊人たちが地上に来るのです。
そのようにして横的に活動する霊人たちが、故郷で愛する心をもってソウルの家に来て協助するのです。 そのようにして横的基盤を広めていくことができるのです。 それが復帰です。(1988.4.6)
最高の立場で自己陶酔して満足しているその群れから迫害されて追われ、 涙を流す立場で血だらけになって倒れていく体を立て直しながら、 たった一つ私が残さなければならない遺業とは何であり、 私が残すことのできる遺産とは何であり、 私が相続させることができる最後の遺言とは何でしょうか。 天に対して燃え上がる心情と、忠誠を尽くしたいと思う孝子の心、 忠臣の心、烈女の心をもつ群れがいるとすれば、 その群れは絶対に滅びることがありません。(1961.1.9) - 1970年1月1日
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-------0312------
おはようございます。
いつも感謝の気持ちを表現しましょう。
-ごめんなさい。
-赦してください。
-感謝します。
-愛しています。
天一国2年天歴212日
今日のみ言
父の祈りから
お父様!
今日私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。
忠孝と真の愛の有無が方向を決める。
愛は、自らの家庭から父母の助けを願うことではありませんか。自分が父と母の愛を受けたならば、 父と母を愛さなければなりません。 天理はそのようになっています。すべての心情的な誘発点は、 父子の関係から連結されるのです。それは、 すべて郷里から植えられてくるのです。
しかし、堕落することによって、これがすべて食い違ってしまいました。 それをこの地で解かなければなりません。郷里に帰っていって、 サタン側に立って愛する数多くの孝子、孝女以上に孝子、 孝女の立て札を立ててこそ、天使長ではなく、 善の霊人たちが地上に来るのです。
そのようにして横的に活動する霊人たちが、故郷で愛する心をもってソウルの家に来て協助するのです。 そのようにして横的基盤を広めていくことができるのです。 それが復帰です。(1988.4.6)
最高の立場で自己陶酔して満足しているその群れから迫害されて追われ、 涙を流す立場で血だらけになって倒れていく体を立て直しながら、 たった一つ私が残さなければならない遺業とは何であり、 私が残すことのできる遺産とは何であり、 私が相続させることができる最後の遺言とは何でしょうか。 天に対して燃え上がる心情と、忠誠を尽くしたいと思う孝子の心、 忠臣の心、烈女の心をもつ群れがいるとすれば、 その群れは絶対に滅びることがありません。(1961.1.9) - 1970年1月1日
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-------0312------
おはようございます。
いつも感謝の気持ちを表現しましょう。
-ごめんなさい。
-赦してください。
-感謝します。
-愛しています。
天一国2年天歴212日
今日のみ言
父の祈りから
お父様!
今日私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。
忠孝と真の愛の有無が方向を決める。
愛は、自らの家庭から父母の助けを願うことではありませんか。自分が父と母の愛を受けたならば、 父と母を愛さなければなりません。 天理はそのようになっています。すべての心情的な誘発点は、 父子の関係から連結されるのです。それは、 すべて郷里から植えられてくるのです。
しかし、堕落することによって、これがすべて食い違ってしまいました。 それをこの地で解かなければなりません。郷里に帰っていって、 サタン側に立って愛する数多くの孝子、孝女以上に孝子、 孝女の立て札を立ててこそ、天使長ではなく、 善の霊人たちが地上に来るのです。
そのようにして横的に活動する霊人たちが、故郷で愛する心をもってソウルの家に来て協助するのです。 そのようにして横的基盤を広めていくことができるのです。 それが復帰です。(1988.4.6)
最高の立場で自己陶酔して満足しているその群れから迫害されて追われ、 涙を流す立場で血だらけになって倒れていく体を立て直しながら、 たった一つ私が残さなければならない遺業とは何であり、 私が残すことのできる遺産とは何であり、 私が相続させることができる最後の遺言とは何でしょうか。 天に対して燃え上がる心情と、忠誠を尽くしたいと思う孝子の心、 忠臣の心、烈女の心をもつ群れがいるとすれば、 その群れは絶対に滅びることがありません。(1961.1.9) - 1970年1月1日
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いい朝ですね。
今日は何の予定がありますか?いつもみんながラマステの精誠、浄化精誠の精誠で「食口を大事にする、食口を愛する」「 謙虚なる、仕えるリーダーになる」
天一国2年天歴2月11日
今日のみ言
私たちは、食口を一人たりとも失ってはならないのです。指導者の皆様は、 一つの魂を失うことに対しても恐ろしいくらいの良心の呵責を覚え つつ、さらに努力していただきたいと思います。
氏族的メシヤとは何か
位置------
氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、 すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。 そうなれば、みな終わるのです。 氏族的メシヤになれという言葉は、 氏族的祖先になれということです。
(1989・1・3、漢南洞)
事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。 億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。 皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、 イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知ら なければならないのです。 イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないので す。
それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だと いうことを知らなければならないのです。 モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなら ないのです。盲目的ではないのです。 モーセは何も分からずにしましたが、 私は具体的にみな知っているのです。 理論的にみな知っているのです。 故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、 カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事 実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、 彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、 お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、 サタンになるので仕方がないのです。 彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、 自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。 そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、 サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。 そういう危険性があるので、 神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。 自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、 また引っ張っていくというのです。(1979・1・14、 ベルベディア修練所) - 1970年1月1日
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いい朝ですね。
今日は何の予定がありますか?いつもみんながラマステの精誠、浄化精誠の精誠で「食口を大事にする、食口を愛する」「 謙虚なる、仕えるリーダーになる」
天一国2年天歴2月11日
今日のみ言
私たちは、食口を一人たりとも失ってはならないのです。指導者の皆様は、 一つの魂を失うことに対しても恐ろしいくらいの良心の呵責を覚え つつ、さらに努力していただきたいと思います。
氏族的メシヤとは何か
位置------
氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、 すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。 そうなれば、みな終わるのです。 氏族的メシヤになれという言葉は、 氏族的祖先になれということです。
(1989・1・3、漢南洞)
事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。 億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。 皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、 イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知ら なければならないのです。 イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないので す。
それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だと いうことを知らなければならないのです。 モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなら ないのです。盲目的ではないのです。 モーセは何も分からずにしましたが、 私は具体的にみな知っているのです。 理論的にみな知っているのです。 故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、 カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事 実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、 彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、 お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、 サタンになるので仕方がないのです。 彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、 自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。 そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、 サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。 そういう危険性があるので、 神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。 自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、 また引っ張っていくというのです。(1979・1・14、 ベルベディア修練所) - 1970年1月1日
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いい朝ですね。
今日は何の予定がありますか?いつもみんながラマステの精誠、浄化精誠の精誠で「食口を大事にする、食口を愛する」「 謙虚なる、仕えるリーダーになる」
天一国2年天歴2月11日
今日のみ言
私たちは、食口を一人たりとも失ってはならないのです。指導者の皆様は、 一つの魂を失うことに対しても恐ろしいくらいの良心の呵責を覚え つつ、さらに努力していただきたいと思います。
氏族的メシヤとは何か
位置------
氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、 すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。 そうなれば、みな終わるのです。 氏族的メシヤになれという言葉は、 氏族的祖先になれということです。
(1989・1・3、漢南洞)
事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。 億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。 皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、 イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知ら なければならないのです。 イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないので す。
それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だと いうことを知らなければならないのです。 モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなら ないのです。盲目的ではないのです。 モーセは何も分からずにしましたが、 私は具体的にみな知っているのです。 理論的にみな知っているのです。 故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、 カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事 実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、 彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、 お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、 サタンになるので仕方がないのです。 彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、 自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。 そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、 サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。 そういう危険性があるので、 神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。 自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、 また引っ張っていくというのです。(1979・1・14、 ベルベディア修練所) - 1970年1月1日
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おはようございます。
今日も一期一会の心で過ごしましょう。
天一国2年天歴2月10日
今日のみ言
真なる愛だけが体と心を一つにする。
今、世の中では、「この世界は一つの世界になるべきだ。統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ。」 こんな言葉をたくさん言います。
では、一つになるには、力を与えながら「やあ」と言うと「やあ」こうなって、力で一つにするのか? でなければ、何かの組織力を持って、 この頃は何かの組織社会だから、強力な組織力で一つにするのか? その次には、ある思想を中心として一つにするのか? そうできる一面はあるかもしれませんが、 それは我々の本性として「体と心が全部歓迎をして、 これでなければだめだというそのようなものには絶対なれない。」 というのです。体と心が「これはいい。 このようなものは私が願うものだ。 これは永遠な理想の基準で私が侍って暮らすことができる。」 と言えるようになっていないのです。それはお金でもだめだし、 知識でもだめで、何でもだめなのです。
では、一つになりうる根本が何か? 高い人や低い人や、東西洋はもちろんであり、黄色人や白人や黒人や、どの国でもみな好みうるものが何か? それは愛です。 真なる愛で一つになること以外にはないということが、 最後の結論であることを、皆さんは知るべきです。 そのようですか?(はい)。自分の体と心が親しくなって、 一つになって、喜びうることは・・・。 お金を見て体と心が喜びますか? それは永遠に喜べないのです。
我々の五官が全部集中して、一つにさっと固まって、笑って踊りを踊りうることは真なる愛の理想以外にはないという結 論です。それをだれが否定しますか? 否定すれば、それは愛ではありません。それゆえ、 霊と肉が我々の心と体がすべて一つになりえ、 ともに共栄しうることは、 真なる愛の境地以外にはないという結論を下すことができるのです 。(91―141)
霊と肉は、本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、 偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。 それゆえ、 真の愛の起源を見出さずしてはこれが一つにならないのです。 それが最も理論的だということです。 その場を皆さんが越えていって、天が祝福してくれる、 その祝福を願って行かなければならないのです。(91―184)
皆さんの体と心が、神様の愛を中心として生きていかなければなりません。 ご飯を食べるときも、神様の愛を中心として食べ、 考えと行動をするときも、神様の愛を中心としてすべきです。 体と心が神様の愛を中心として生きる人にならなければなりません 。しかし、皆さんの体と心が怨讐になっています。 神様の愛を中心として根を下ろさなければならないのに、 サタンの愛で先に根を下ろしたためです。 そこから体と心が分かれて戦っています。(1986・2・1)
本来は、人間の心と体に神様の愛が入って、内外に矛盾や相入れないこと、 または闘争がない結果をもたらさなければなりませんでした。 しかし、人間が神様から離れていって、 サタンを中心として外的に愛したのが動機になって、 体と心が相入れない立場で闘争する結果がもたらされたのです。 そうして、外的な体を中心とした愛が、内的な心を中心として、 理想的な永遠な生命の起源になる、 神様の愛に背いて出てくる歴史の結果がもたらされたのです。 ですから、外的な愛、すなわち、サタンの愛を除去して、 そこに本然の内的な愛である神様の愛を相続して、 体と心を糾合させなければなりません。そうしてこそ、 ここから統一が起こるのです。(37―179)














